Opus Dei オペラな日々 第1回 「五感」を伝える愛

稲垣俊也
オペラ歌手(二期会会員)、バプテスト連盟音楽伝道者

稲垣俊也

新国立劇場オープニング公演 團伊玖磨「建・TAKERU」タイトルロール

 さて、このたび「いのちのことば」に初登場いたしますこの私は、と申しますと、*オペラ歌手*でございます。と同時にバプテスト連盟の音楽伝道者として、国内外でのチャペルコンサートで*奨励*させていただくことを常としている正体不明の不可思議な人間です。

オペラ=神の愛

 「オペラ」、日本人のほとんどの方がこの言葉をご存じであるかと思います。しかしその内容に関しては、ほとんどの方がわからないというやっかいな代物でもあります。

 オペラは中世の*神聖劇・典礼劇*(聖書の物語による音楽を伴う劇)から発展したものです。そしてオペラ(Opera)という言葉は、ラテン語の*神聖劇・典礼劇*をあらわすオプス・デイ(Opus Dei=神の業の意)から来ています。

 オペラは知性はもとより、すべての感覚に訴える芸術です。*歌劇*と訳されているとおり、歌を伴った音楽で、まず人の聴覚に心地よい*波動*を、また所作を伴うことで視覚をとおしてもメッセージを伝えることができます。また舞台上で食事をしたり、抱き合ったり、音楽の香りを楽しんだり、演奏者にとっても聴衆者にとっても、*五感*が呼び起こされる*業*であるといえましょう。

 私は、神が人となり十字架にかかって人類を救ったイエス・キリストの*業*を、オペラと重ねずにはいられません。

 神であれば「私はあなたを救おう」と、ただ天上から仰せられることで充分にすんだことでしょうが、神はそのような方法はお取りになられませんでした。ご自身がイエス・キリストという肉体の梯子を持って地上に来られ、人々と直接お語りになり、ある時は励まし、癒し、疎外されている人を訪ね、ともに食事されました。そして十字架で死なれたことによって人々に救いをもたらされました。

 ものの見方や考え方ではなく、最も現実的に人の五感に分かる形で愛を実践し表現された神の業は、まさしく「オプス・デイ」なのです。

私の出来事を表現する

 *神のみことば*という言葉は、ヘブル語で*ダーバール*ですが、同時に*出来事*という意味でもあります。

 すなわち神様は*みことば*を通しても、*出来事*を通しても語りかけてくださるということであるといえましょう。人格者である神は私たち人とともに生きています。つまり、自分の生活の*出来事*の中で神の働きかけを意識するということは、自分のなかに神様が生きていることを味わうことになります。

 人は自身の出来事を通して、神を親しく近しく味わわせていただけます。その感動を呼び起こすことができれば、必ず何らかの形で*表現*したいという思いにかられます。なぜならば「表現」とは自分が育まれ養われ創り上げられた感動を、自分自身で反芻してそれを*今*に感じ*再創造*することになるからです。

 過去に味わった実体験も、自らが創り上げた再創造どちらも紛れもない*現実*に他なりません。自己を再生し、追創造することは、二倍の自己を生きることになりましょう。

 オペラもこの二つの現実を同時に味わわせてくれる、実にありがたいものです。

時間と空間の架け橋

 私は、オペラは「時間と空間の架け橋」だと考えています。オペラで上演されている出来事は、決して過去の絵巻物語ではなく、聴衆との全人格的な呼応、応答の中で*今*に味わう現実として感じさせていただけるからです。それはまったく*不可思議*としか言いようがありません。自分の生活とは直接関係のない出来事であっても、私の体験として感じさせてくれます。

 作曲家、作家、美術家の方々は*創造芸術家*と呼ばれています。それに対し私のような演奏家は、*再現芸術家*といわれています。私は、再現すること、表現することの素晴らしさを日々味わわせていただいている者として、ぜひ皆様にそれをおあかし、お分かちいたしたく本稿を起こさせていただいた次第です。

 自分の出来事に思いを巡らし、意識を深めそれを「表現」することは、「神の人」になるだけでなく、本当の自分を見つけ、本当の自分を創めることになりましょう。

 連載をどうぞご期待下さい。