I Love Music,I Love Jesus. 「自分には愛がない…」絶望から立ち上がって

向日かおりさん

向日かおりさん

interview 3

 「愛を歌いたい」と語るのは、二○○○四年ゴスペル/CCM大賞のアーティスト部門で金賞に輝いたゴスペルシンガーの向日かおりさん。しかし、その活躍の背景には、心に悩みを抱え、死を決意した過去がある。向日さんはなぜ「愛の歌」を歌うようになったのか。

 「私は、五代続くクリスチャンホームに生まれ育ちました。日に焼け、よく笑い、いつもひざこぞうが擦りむけているような活発な子どもでした。でも、中学に入ってからおかしくなってしまったのです。思春期に突入した私は、大人たちの言葉、態度、学校の体制から教育の中身、そして社会に対して強く矛盾を感じていました」。

 大人たちの矛盾に、向日さんの心は悲鳴をあげ、押入にこもって、食べ続けるようになった。そんな少女時代を救ったのが、ただじっと見守り続けてくれた叔父の存在だった。叔父は一歩踏み出す力と、夢を持つことの大切さを教えてくれたという。

 「そのときの夢ですか? 曲を作って、自由な世界をみんなと分かち合いたい、これが私の夢であり、希望でした。三歳でピアノをはじめ、物心ついたときには歌を作っていました。自分がおかしくなってしまったときも、だれにも言えないことばを即興でピアノに託して弾いていました。音楽は自分を解放し、自分の知らない世界に連れて行ってくれる存在でした」。

 反対する両親を説得し、大学は声楽科へ進学する。しかし、友達と笑いあうキャンパスライフは長くは続かなかった。ある出来事を通して、「自分には人を愛する力がない」ことに気がついたのだという。「愛がなければ、何の役にも立ちません」という聖書のことばの前に、人を愛する力がない自分は「何の役にも立たない」と感じた。向日さんは、絶望し、「死」を願うようになる。

 同じころ、音楽の世界で生きていく限界も感じていた。生きる支えと希望だった音楽への夢を失い、自然に死のうと、旅の途中で立ち寄ったスイスの山中へと向かう。辺りが闇に包まれても、ひたすら歩き続け、目の前には崖が現れる。崖に向かって足を踏み出したときだった。一本の枝がリュックにひっかかり、足を止めた。

 「カミサマダ! と神の存在を確信した次の瞬間、パーンと何かが音を立てて割れたのを感じました。風船のように自分を覆っていた心の膜が割れた音を聞いたのです」。

 突然、死への恐怖が沸き起こった。

 「死にものぐるいで町に走り、明かりが見えたとき、感謝の涙があふれてきました。腹の底から神様を叫び求めるために、私はこの山に連れて来られたのだと実感したのです。そして、聖書のことばと神様の存在が大きな光となって輝き出したのです。十字架は人を死から命へよみがえらせる。十字架によって私たちは永遠の命へ入れていただける。やっと十字架は愛なのだと理解したのです」。

 子どものころからずっと神様の愛に包まれていたことを、このとき気がついた。そしてこの出来事で「私は生まれ変わった」と明言する。

 「それまでは死ぬということがわかっていなかった。でも、自分の命が自分のものではないということがわかれば、世界観が変わり、新たな自分に生まれ変わることで、永遠の命や死の意味を、実感をともなって理解できるようになりました」。

 向日さんは、神様の愛によって変えられ、ゆだねて生きる新しい人生を歩み出したのだ。その後、様々なところから歌を歌ってほしいという依頼が来るようになった。初めてのコンサートで「いちど死にしわれをも」を歌いながら、「今、ここにいるのは、ただ神様によるのだ」と、心は感謝で満ちあふれていたという。

 現在、関西聖書学院の教師や西宮福音教会での音楽主事なども務めるかたわら、ソロコンサートやジョイントコンサートを行っている。ファーストアルバム「Presence」は韓国でカバーされ、現地のテレビやラジオにも出演するなど、その活躍の場を世界へと広げている。

 「あるとき、アメリカの教会で祈ってくれた人が突然、『あなたは神様の愛を歌うようになります』と何度も言ってくれました。それが私の励ましです。これからは日本にとどまらず、自分の歌や経験を通して世界中に神様を伝えていきたい」。

 これからも、向日さんを包む神の愛という光は、歌にのって多くの人の心を輝かせていくだろう。

*今秋、向日かおりさんのあかしを出版予定です。