21世紀の伝道を考える 6 教会を活きかえらせるセルグループ(2)

大橋 秀夫
武庫之荘福音自由教会 代表

 過去三十年以上にわたってわが国の礼拝出席者は、全国平均で四十名以下にとどまっている。それでも一人の牧師をフルサポートし、会堂を所有していることは、諸外国の信徒から見ると奇跡的としか思えない。そしてそこでもすべてが牧師中心に進められるのである。「神が信徒に与えられた賜物を解放せよ!」と叫ばないではいられない。

 実際、四十名というサイズは一人の牧師のもとで掌握されるグループとしてはちょうどよい、それは教室サイズなのである。そして日本の教会は教室であり、一つの家族であり、それを理想としている感さえある。

 社会の基本的構成は一つの家庭から成っているが、ただ一つの家庭でできている社会は存在しない。教会が共同体であることは、そこにたくさんの家庭サイズの群れが存在することこそ、本来の姿なのである。

 セルグループの多様性

 近年セルグループから開拓伝道をスタートする牧師たちも現れ、その成果をあげているとの報告を聞く。

 しかしその多くは既成教会にセルグループを取り入れようとするケースである。そうした場合、先回も述べたように、それはスモールグループ教会である。それでもグループがこれまでの家庭集会でも、家庭聖書研究会でもなく、セルグループの理念を導入することによって、信徒はこれまでにない生き生きとした信仰生活を取り戻している。

 そして実際には、純粋なセルグループ教会というより、セルグループを持っている教会(=メタ・セル教会)のほうが多いと思われる。たとえば世界中の教会からその成長ぶりが注目されているウィロー・クリーク教会も、サドルバック教会もスモールグループである。

 けれども、たとえどちらであろうと私はそれほど重要な相違とは思わない。むしろそこにこそセルグループの多様性があると理解している。

 セルグループのいのち

 大切なことは、信徒こそが教会形成の中心に置かれなければならないということである。そして牧師たちは「聖徒たちを整える」働きに専念するのである。信徒は決して牧師の働きの助手であってはならない。そうした観点から考えるならば彼らこそ主役なのである。

 またセルグループのいのちはアガペの愛である。互いに愛し合い、励まし合い、みことばと聖霊に満たされて最も身近な人々に仕え、彼らを愛し合う群れに取り込んでいくのである。そこでは実際的な必要にも喜んで援助の手が差し出される。そうした信徒たちのライフスタイルが形成されるならば、伝道は特別なことではなくなるのである。

 セルグループを支え、生かすもの

 セルグループは、現場主義とも言えるメンバー相互の関係の中で、訓練やケアがされていく。そのために互いに助け合い支え合うだけでなく、リーダーシップを養う必要があり、そのためのスキルが必要である。それがコーチングである。これはたとえば前述のウィロー・クリーク教会では「メンタリング」と呼ばれるし、日本教会成長研修所では「バルナバ・ミニストリー」と呼んでいる。

 近年、アメリカはもとより日本でも企業のリーダーシップ養成にも盛んに取り入れられているので、書店などでそうした書籍を目にすることもあるかもしれない。訓練というと即、教室型の「○○訓練コース」をイメージする方が今でもいるが、セルグループではそのような訓練には重きを置かない。課題をともに考え、計画を立て、祈り、ときにはそれを見直していく。

 コーチというと、指導するというイメージが我々にあるが、本来は四人乗りの馬車のことであり、かたわらに立つ者として理解してほしい。

 最後に

 近代化、民主化、そして世俗化と我々の世界は変化をし続けている。その中で教会が旧態依然とした前近代的な組織で動いていることに恐れを感じる。聖書を調べればそこには常に神の知恵がある。変化できないものは、淘汰されていく。その変化と日本の教会の再生をセルグループが可能にしてくれると信じる。