駆出しおとんの「親父修行」 第5回 一人ひとり違う

大嶋重徳
KGK(キリスト者学生会)主事

「香澄さぁ、お父さんの仕事ってなんて言ってるの?」と妻が尋ねる。
「うん、別に……。KGKって言ってもだれもわかんないじゃん」
「なんか、東京のほうに行ってるって感じ?」
「ああ、そう」
そんな娘に、妻はさらりと言う。
「でも、香澄ぃ。『うちの主人、牧師なのぉ』ってお母さん友達に言うと、『へぇ、超かっこいい』って言われるよ」
「ほんとに?」
「この前なんて、牧師だって言うと、『えっ? ご主人ガイジン?』って言われたしねー。ハハハ」
クリスチャンなんだと自信を持って言えない、そんな娘の背中をそっと押す妻。
一方、下の息子は、「おとうさん、今日もさあ、伝道してきたんだよ。あいつらさぁ『神様いない』とか言ってくるんだよね。だからさ、こう言ってやったんだよ。……どう、ボクすごくない?」と自信満々で帰ってくる。
同じ夫婦から生まれてきた子どもでも全く違う。それぞれの弱さがあり、それぞれの強さがある。そして親の対応だって、それぞれに違わないといけない。

*    *    *

「ねえ、香澄が今日泣いて帰ってきたよ」妻がボクに言う。
「えっ? どうして」
「なんだかね。DSを持ってる子じゃないと遊ばないって言われたみたい」
子どもの頃からテレビゲームが嫌いなおかんと親父に育てられ、おかげですっかり洗脳されて、テレビゲームが嫌いになったボク。わが家でも「家族で遊ぶボードゲームなら買ってもいいけど、テレビゲームは買わないよ」という方針でやってきた。でもその方針も、厳しく貫き続けることが正解なのか……? と悩む。
KGKに参加するクリスチャンの大学生で「うちもゲーム禁止だったんですけど、一人暮らしになって家を出ると、その反動で今、一日中ゲームにどっぷりですね」と言う学生に出会うと、「そうだよなぁ。厳しいだけでいいわけじゃないしな」と悩む。そして妻に頼む。「香澄にさぁ、お父さんに『DSが欲しいんです』って話しに行きなさいって言ってくれる?」すると妻は、「でもね香澄は、お父さんは小さな頃におじいちゃんにファミコンを買ってもらえなかったつらい過去があるから、私が欲しいって言うと、つらい思い出を思い出しちゃうんじゃないかなって心配してるよ」
えっ、小学一年生なのに、父への牧会的配慮?
人の気持ちに繊細な娘。このあたりも息子とは全然違う。息子は「買ってー」と平気で叫ぶ。
そして、ボクら夫婦が出して結論は、「テレビゲームの本体はお父さんが自分のために買うことにした。だから外で友達と遊ぶときは『お優しいお父さま、どうぞDSを貸してください』とお願いすれば貸してあげる。でもゲームソフトは自分のお小遣いで買いなさい。それでどう?」
「うん、いいの? お父さんは悲しくない?」
「(笑)だから大丈夫だって」
そして、最近の息子といえば、ゲームよりも独自の世界観を貫いて、小学校四年生ながらに韓国語を独学して、「お父さん、新大久保に行こうよ」というワールドワイドな男になりつつある。
子どもたちを公平に扱わなきゃとも思うけど、神様は公平かなあと思うとそうでもない。人間目線で言うと、そうとう偏りのある人生を、それぞれに与えておられる。でも、それがその人のベストの人生なのだ。父なる神の永遠の計画の中で用意されている人生は、〝最善〟なのであって、だれに対しても〝同じ〟なのではない。
子育てもきっとそう。上の子と同じにしても、下の子には良い結果を生まないことがある。
一人ひとりのためになされる神のわざに思いをめぐらし、神様の眼差しに想像力をどんどん働かせ、先輩親父たちのアドバイスを聞きながら、それぞれ違う子どもたちのことを祈りに祈って、これからも決めていこう。もちろん息子も娘も「お姉ちゃんには優しいのに……」「徳ばっかりいい思いをして……」という不満を言うことはあるだろうけど。その度に、「お父さんが考えていることはな」と、父の思いを知ってもらう大きなチャンスにしていこうと思う。