踊るクリスチャン 第一回 賛美のかたち

踊るクリスチャン
清水好子
単立・入間聖書バプテスト教会牧師夫人

 世界的に有名なバレリーナ、アンナ・パヴロワのことを知ったのは、小学校四年生のときです。少し言いまわしが違うかもしれませんが、「どんなに足が痛くても、どんなにつらくても、パヴロワは一生懸命練習しました」という言葉と一緒に踊っているパヴロワの写真を見たことがあります。それが、私とバレエとの出会いでした。

 自分で探し、初めて訪れたお稽古場。初めてのレッスン。そしてフリルのついたレオタードとバレエシューズ。毎週楽しみに通いました。でも、やっとトウシューズをはき始めた頃、事情があってやめることになりました。それでも、「いつか、またやらせてください」と祈っていました。

 いつも疑問に思っていることがあります。聖書には舞踊の記述があり、舞踊は神への賛美、人間の喜怒哀楽の表現でした。現代では声を使って賛美し、楽器によって賛美するのに、なぜ、身体のすべてを使って賛美するということはないのでしょうか。聖書時代のイスラエルにおいても、他の民族においても、歌と音楽と舞踊は一体であり、信仰と深く関わっていたはずです。

 祈りが聞かれ、またバレエをはじめた時、私は賛美の表現として舞踊を創作しました。「キリストの降誕」「再臨」「天国への道」とタイトルをつけ、聖書の内容や、信仰の証しを躍りました。あるときはキリストを宿したマリヤの不安や喜びを、あるときはクリスチャンなのにまったく喜びを感じることのない自分自身の信仰の現実を、また、その現実の中から天国への道を見いだした喜びを踊りました。舞踊は、私にとって賛美そのものなのです。

 舞踊への熱い思いほどには、練習の機会も、周囲の理解も得られません。でも私の心の中には、いつも踊りがあります。アメリカには、クラッシック音楽と舞踏を通して伝道活動を行っている「キリスト者舞台芸術家フェロシップ」があるといいます。日本もそのような団体ができたらいいと思います。


 ダビデとイスラエルの全家は歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊った。(サムエル記II六章五節)