貫き通す!
―高山右近、その信仰と生涯 月刊マンガ「らみい」に連載された高山右近の生涯を描いた『キリシタン大名 高山右近』が出版された。
信仰面もしっかりと描かれた、その作品の魅力に迫る!


坂下章太郎
さいたま福音キリスト教会/東京メトロポリタンチャペル 牧師

「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(口語訳聖書マルコによる福音書十六章十五節。フランシスコ・ザビエル宣教師が愛した主の大宣教命令)
悩みを抱えて、教会に飛び込んだ一人の女性がいた。彼女はイエスを信じ受洗、四人の子ども達も後に続いた。彼女はこの本を書いた青山むぎさん。主を知る前は絵を描くことが彼女の支え、今は信仰を支えに絵を描く。
この本の魅力は、主イエスの心を心とし、宣教に生涯を捧げ尽くした人を描いたことだ。その人、高山右近は、ザビエルが天に召された年に誕生した。十二歳で受洗。ザビエルの遺志を継ぐかのように、彼は生活した所で宣教し教会を建てた。ザビエル来日から五十年後には約七十万を超すキリシタンがおり、十七世紀初期には日本の総人口の約七%を超したという。
この本の魅力と内容について、高山右近と宣教との関係で四つにまとめてみたい。

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1.伝統文化を通しての宣教

高山右近は自ら信者の模範となり、主君によく仕えた。武道に長け、戦いに負けることがなかった。庭園や茶道、芸能など日本文化をこよなく愛した。城、茶室、南蛮寺(当時のキリスト教会堂名)も日本伝統に基づき建築する卓越した存在であった。彼は熱心な信者であったが、領地内の神社仏閣を破壊することはしなかった。そのような彼の人徳を見て、家臣や領民が自然にキリシタンの教えを聞き、信仰に導かれ、神社仏閣も少なくなっていった。

2.外交・貿易、外来文化、文化変容を通しての宣教

宣教師は、公使として外交・政治・貿易にも関与し、同時に西洋の服装、天文学、医学、音楽、芸術など南蛮文化をもたらした。日本の権力者の前で披露されるときは、右近が宣教師たちに同行し、政治権力に深入りし過ぎて、誤解をもたらすことのなきよう細心の注意を払ったのである。
また千利休の茶道は、南蛮文化の影響を受けた文化変容の時代の賜物である。利休七人の弟子(七哲)には五人のキリシタンがおり、右近は利休の二番弟子であった。彼にとって茶室は、祈り、礼拝、宣教の場であった。

3.教育・慈善事業を通しての宣教

右近の行く領地では、南蛮寺、神学校、学院などが建てられ、聖書、十戒、主の祈り、キリシタン教理が教えられ、讃美歌が歌われた。またミゼリコルジア(慈悲)と呼ばれる組会で貧者、病者のために慈善事業などがなされた。

4.戦国武将としての宣教

右近が戦いに負けることは、キリシタンの勢力が弱くなることだったので、生きるか死ぬかの戦場こそ、霊的闘いの場であった。彼は茶室で祈り、礼拝して、戦場に行くのが常であった。主君に仕えることと主に仕えることの葛藤は、現代社会に生きる我々にも力強いメッセージを与えてくれる。
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私が『イエズス会日本宣教初期の宣教方法に対する評価と現代的適応』(共立基督教研究所修士論文)を研究しているとき、フロイス『日本史』をはじめ多くの資料に、信長・秀吉・家康と関わる高山右近の生き様が描かれ、多くの人に知ってもらいたいと思っていた。教会に来始めた青山むぎさんに、何回となく、「高山右近、漫画書いて見たら」と語りかけ続ける中、いのちのことば社の方々との出会いがあり、『らみい』連載、今回一冊の本が完成した。
戦後、平和の七十年を過ぎ、安保法成立でこれからグローバルな戦国の世に向かおうとするとき、子育て奮闘中の青山むぎさん力作『キリシタン大名高山右近』が、指導者、ビジネスマンをはじめ、多くの方々に大きな指針と励ましを与えることだろう。まずはご購読あれ!