読む 岩渕まこと。 岩渕まことインタビュー(2)


何のために歌うのでしょうか。歌いたいから? 賛美? 楽しいから?

 とても難しい質問です。時には人との出会いや、出来事を通して歌を作り、歌わなければという気持ちになることがありますが、「いつも」そうではありません。歌うことがこよなく好きでもありませんし、上手い歌を歌えるわけでもありません。僕はひとり河原で歌う、などということは決してしない人です。
 こんなことを書くと、みなさんに失望していただくために、わざわざ文章を書いているようですね。おそらく歌うことにクールでいられる自分なので継続することができるのだと思います。
 もし自分が歌いたいから歌うというのならば、聴かされる人は少し気の毒です。「賛美だから歌わなければ」と理由をつけて歌うのであれば、賛美の本筋から離れているように思います。楽しいから歌うのであれば、河原で歌えば良いのです。
 でも歌は、音楽は、僕の衣服のように生活の中に居ます。時に優美に、時に他人行儀に、時に沈黙して……。その音楽といのちの交流が生まれた時に歌がはじまるように思います。
 コンサートではどうなのかというと、私と歌とが一緒にいられる時間を与えられている、私と歌との交流の場なのかもしれません。私はコンサートの流れやトークのことを考えながら歌を選びます。「歌」は僕がちゃんと歌えるかどうかを見定めるように羽を広げ始めます。お互いがお互いを必要としている関係です。時々歌と私がひとつになれたと感じることもありますが、そう多くはありません。自分も歌も自立していないと成り立たない関係でもあります。
 結論としてはなぜ歌うのかは「よくわからない」ということになりそうです。

岩渕さんの音楽のテーマ、ポリシーって何ですか。音楽活動は、伝道でもあるのでしょうか。

 テーマについては歌のひとつひとつに表現されていることで、その時々に変化してゆきます。ポリシーはリラックスでしょうか。力んで一生懸命やることは一見良いのですが、音楽はリラックスして臨むことが必要です。そしてこのリラックス、平常心ということが難しいのです。
 音楽と伝道ということに関しては、自分自身、伝道のために歌っているという意識はありません。結果的に、伝道や励まし、癒しになっているということは知っています。僕は自分にできることを丁寧にするということだけを思っています。
 伝道の歌を歌おうと構えるも構えないも、それはこちら側の問題であって、聴く側は「本物かどうかを」見定めているだけです。歌っているこの人間は信用できる、ということがわかった時点で心を通わすという段階に入れるのだと思います。そしてそこに良いものがあれば、手にしたいと思うのではないでしょうか。

奥さんと一緒にステージに立つことも増えていますが、どうして一緒に歌うことになったのですか。

 まず高校時代に一緒のバンドだったということですね。妻がリードボーカルのバンドでした。仙台でローカルヒットした曲があり、レコーデビュー寸前までいきましたが、学校生活を優先するということで、それは断念しました。また妻はミクタムからリリースされた「いのちのパン」その他でも歌っています。十年ほど前、TV番組の「ハーベストタイム」でちょっと歌わせていただいた時から、時々二人でのご依頼をいただくようになりました。
 決定的なのは詩画作家の星野富弘さんの「ぺんぺん草のうた」をリリースする時に、星野さんから「私の作品も夫婦で制作しているので、CDもぜひ夫婦で歌ってほしい」というリクエストをいただいたことです。横田早紀江さんの詞に作曲させていただいた「コスモスのように」は妻の歌がメインです。

今後のアルバム制作、ライブの予定は。

 アルバムを作らなければというテーマが与えられれば制作します。それが今年か、はたまた数年先なのかはわかりません。
 三月から隔月で都内のライブハウスで歌おうと思っています。参加しているバンドのペトラストリートと、塩谷達也さんと行っている「塩渕ライブ」を交互にできたらと計画中です。
 また妻とデュエットで星野富弘さんの詩を歌うコンサートもできたらと願っています。今年の後半にはライブハウスには足が向かないという方々に来ていただけるような、ホールでのコンサートができたらという願いもあります。

今年、音楽分野で目標にしていることはありますか。

 「楽しいことをする」ということです。自分にとっても新しいステップを踏みたいと考えています。「楽しいことをする」なんて軽い印象を持たれると思いますが、テレビやラジオから聞こえてくるのは悲観的なことばかりのようです。「本当かな?」と思います。ワクワクしましょうよ。