誌上ミニ講座「地域の高齢者と共に生きる」 第8回  役割の喪失と獲得

井上貴詞
東京基督教大学助教

学生時代、私はある病院の高齢者デイケアでボランティアをしていました。当時(一九八〇年代半ば)は、福祉のしくみも未整備でデイケアの専任病院スタッフは二名だけ。主力人員はボランティアでした。そして、入浴介助を担当する学生を除けば、ボランティアの大半は地域の七十代以上の高齢者グループでした。老いの現実を自らの課題として受け止め、助け合いつつ自分でできる役割を担って奉仕する姿は、とても清々しく、ぬくもりあふれるものであったという印象が強く焼き付いています。

Gさんの役割喪失

デイサービスで相談員をしていたときのこと。八十歳を過ぎても主婦として家のことを何でも取り仕切る気丈なGさんは、あるとき脳梗塞で倒れて寝たきりになってしまいました。それまで台所仕事も近所づきあいも、一切を仕切っていたGさんからすれば、動けない寝たきりの生活は耐え難い苦痛と喪失感を伴うものでした。
そこに追い打ちをかけたのが、介護者のお嫁さん(五十代後半)の若年性アルツハイマー症の発症でした(子や介護者が先に認知症になる……。今日、稀なことではありませんが、当事者からすればショッキングなことです)。病状はごく初期の段階であり、他に介護者がいなかったこともあって、お嫁さんはデイサービスや訪問看護、ホームヘルパーの支援を受けつつGさんの世話を続けていました。
しかしGさんには、簡単な要求や指示に対してうまくできないことが生じるお嫁さんの病気のことは理解しがたく、お嫁さんのちょっとした失敗も厳しく叱責し、時に怒りをぶちまけるようになっていました。
Gさんは、身辺の自由や近隣を含めた人間関係の役割を喪失し、自らの規範に従って日々の暮らしを自分で律するという精神的な役割をも喪失していました。それは自らの存在の意味の喪失にもつながり、スピリチュアルな痛みともいえるものです。デイサービスでも、Gさんは募った愚痴やイライラを周囲に当たり散らすようになっていました。
Gさんをいやし、ささえたUさんの役割

その後Gさんは、デイサービスに週に一回通うことになった幼なじみのUさんと再会しました。嫌な顔をしないで何でも耳を傾けてくれるUさんとの交流は、Gさんにとっては砂漠のオアシスのようなひとときでした。
Gさんの普段のようすを心配したUさんは、週一回のデイ利用日以外にも、Gさんの家を訪問すると言い出しました。実は、Uさんはお元気なころは、毎日のようにGさんを訪ねていたのですが、骨折してからは転倒を恐れ、外出しなくなっていたのです。虚弱なUさんにとって、片道五百メートルほどのGさんの家を訪問することは、大変な勇気と努力を要することでした。しかしUさんは、Gさんの家を毎日訪ねることができれば、Gさんの何らかの助けになるだろうとその想いを決行したのです。
結果は予想を上回りました。UさんはGさんの傍らでおしゃべりを楽しむだけでしたが、Gさんの心は驚くほどになごみ、介護者への叱責も減り、お嫁さんの病状も目立たないほど穏やかになったのです。Uさんにとっても、若いころに姉のように慕っていたGさんの役に立つことができたことは、大きな励みになりました。
役割はその人の存在の意味をささえる

日本人には、年老いると隠居するというイメージからか、老年期には自分の役割を見失って、無力感や喪失感にさいなまれやすいというメンタリティーがあるようです。役割の喪失は人の心を蝕み、役割の獲得はその人の存在の意味をささえ、奮い立たせることもできます。世間一般では、退職した高齢者は生産性がないと価値を値引きされますが、組織のしがらみや利害関係から解放されている高齢者こそ、公平無私の立場で、豊かな経験を活かした真の社会貢献ができる尊い存在なのです。九十歳で老人ホームに入居された引退牧師のSさんの「私は祈るという使命を全うするためにこのホームに来たのです」という言葉が今でも忘れられません。
Sさんはその言葉のとおり、周囲への麗しい愛の配慮と多くのとりなしの祈りをささげて、晩年に最高の存在の輝きを放って御国に凱旋されました。
高齢期は、ある意味では主に純粋に祈り、奉仕できる新たな人生の役割の獲得期です。ここに生涯現役であるクリスチャンの存在の輝きと尊厳があります。また、それを引き出し、励ますケアの働きこそ価値あるものなのです。

「あなたは年を重ね、老人になったが、まだ占領すべき地がたくさん残っている」(ヨシュア13章1節)