誌上ミニ講座「地域の高齢者と共に生きる」 第2回  ふたり暮らし高齢者への支援のポイント

井上貴詞
東京基督教大学助教

ふたり暮らし高齢者への支援のポイント

 四半世紀も昔のこと。私は、H市の寝たきり老人実態調査の調査員として家庭訪問をしていました。その調査期間の最中に、市内で介護を苦にした老夫婦の心中事件が起こったのです。当時学生だった私にとっては、大変衝撃的な事件でした。
あれから長い歳月が流れ、世の中に介護を社会で支えるしくみは整備されてきたはずなのですが、未だに介護が原因の殺人・心中事件は絶えません。ある調査によれば、ここ十年間で介護を受ける六十歳以上の方が被害に遭った殺人・傷害致死事件は少なくとも三五〇件であり、五十八%は「老老介護」下で起きたと報告されています。

ある高齢者ご夫妻の例

共に八十歳を超えるふたり暮らしのご夫妻がおられました。妻は、ケアマネジャーより介護サービス利用を勧められましたが、寝たきりの夫の介護を他人にさせたくないと断りました。その一か月後、妻は血圧が二百以上になり、疲労のために倒れてしまいました。
私たちは、このような場面に直面すると、往々にして老老介護は無理であるとおふたりを説得しようと試みますが、残念ながらこうした提案はすぐには受け入れられないことが多いものです。私たちはどのようにしたら、このような高齢者の隣人となれるのでしょうか。それはおふたりが育んできた暮らしの世界を理解するところから始まります。

ふたり暮らしの三つの利点を知る

第一には、説明せずして丸ごとわかりあえる共感性です。筆舌に尽くしがたい戦中・戦後の辛酸をなめ、服一着を繕いながらぼろぼろになるまで使い込んできた我慢強さや清貧さ。人と人の絆を大切にしてきた義理堅さと人情の感覚。戦前、戦中生まれの世代が持っている時代の共有感と生活意識は、価値観の多様化した戦後世代には想像しがたいほどの強い共感性、連帯性があり、これを共有できることは生きていくうえでの支えとなります。

第二には、生活リズムの共通性です。日の出や鳥の鳴き声と共に起き、日の入りと共にからだを休めるという自然なリズムがあります。高齢者の趣味に多い、園芸や短歌・俳句、気が置けない仲間との交わり。これらを楽しむ暮らしは、スピード化、IT化されたバーチャルな生活世界、情報社会のリズムとは異なります。

第三には、食の嗜好性や生活習慣の共有性です。朝食にはまず味噌汁、などの嗜好性や生活習慣は、長い年月を共にした者どうしならではの安心感とつながっています。こうした利点から醸し出され、紡ぎ出される暮らしには、他者には理解できないかけがえのない宝が詰まっています。(なお、これは戦前生まれの世代を念頭においた例示です)

ふたり暮らし高齢者の注意すべき特徴

その一方、ふたり暮らしは、どちらかが介護を要する状態になると多くのリスクを抱え込むようになります。暮らしのすべてに介護が溶け込んでいるため生活と介護とが明確に分離できず、精神的な負担も感じにくくさせています。そして、恥を世間にさらしてはならないという日本人的な「閉鎖性」と、この世代特有の「ガンバリズム」がそこに拍車をかけます。介護の手抜き=罪悪という「儒教的美意識」と、介護に縛られることに役割意識や生きがいを無意識に抱いてしまう「共依存関係」も見逃せない特徴です。

ふたり暮らし高齢者を理解しようとするまなざし

自覚されぬまま介護の負担が増大し、かつそのふたり暮らし高齢者が社会的に孤立していると、先のご夫妻の例のように「共倒れ」になったり、最悪の場合心中事件に発展します。そうした事態が起こる前に心配の声をかけても、「わしらはちゃんとやっているから大丈夫」とか「夫の世話は当たり前のことなので負担になんて思っていません」と言われるのです。そのひとつの要因は、自分たちの持つ「人生の宝」を侵されたくないという無意識の抵抗であると私は考えています。
私たちは、ついアドバイスや余計なお世話を優先しがちです。けれどその前に、おふたりの人生が織りなしてきた尊い宝の価値を認め、労苦をねぎらい、共に喜び、共に泣くという信仰と理解のまなざしを持つことが求められます。そこにおいては、専門家よりも同年代の方々による友愛的なつながりや支援が効を奏します。教会における高齢者の集いなどが伝道・牧会上もいかに大きな力となるかを教えられます。「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ一二章一五節)