自殺の苦しみに福音は届くのか 地道な実践を通して

平山正実
北千住旭クリニック院長 精神科医

一、自殺の時代的背景

 日本において自殺で亡くなる人の数は、一九九八年から六年連続、毎年三万人の大台にのったままで、いっこうに減る気配がありません。ひとりの人が自殺でなくなると、家族や友人、関係者などを含め、最低五人は深い精神的打撃を受けるといわれています。

 自殺による死亡者数は、交通事故による死亡者数の約三倍にものぼり、今や黙視できない社会問題となっています。

 なぜ現代の社会は人を自殺へと追いやるのでしょうか。

 警察庁生活安全局地域課「平成十五年中における自殺の概要資料」(二〇〇四)によると、第一位は「健康問題」。続いて「経済・社会問題」「家庭問題」「勤務問題」「男女問題」「学校問題」の順になっています。「健康問題」は、統計を取り始めた一九七八年から、常に第一位を占めています。健康問題の内容は、がん、脳梗塞、心筋梗塞など直接死をもたらす三大成人病に罹患したことが自殺の引き金になることが多いことが分かっています。こうした身体疾患と深い関連があるものがうつ病です。その他、統合失調症および、人格障害、アルコールや薬物などといった精神障害が、自殺と強い相互関係があると考えられています。

 近年の傾向として「経済・生活問題」が急増しています。この背景には不況に伴う倒産や企業のリストラ(雇用解任)、失業、転職などが増え、それに連動する形で自殺が増加したと考えられます。特に、最近、問題になっている「中高年の自殺」は、こうした現代の経済事情というものが大きく影響していると言われています。

二、自殺したいと思っている 人に福音は届くか
 ──精神科医から教会へ

 聖職者を始め教会の指導者たちの中には、今でもキリストの福音さえ信じれば、自殺したい気持ちになることなど考えられないと思っている人が少なくありません。喜びの福音を信じている人がどうして落ち込んだり、悲しんだりするのか分からないと言います。もし、このような気持ちで苦しんでいる人に接したとしましょう。彼らは、相手のこうした思いを直感的に鋭く見抜き、固く心を閉ざしてしまうでしょう。そうすると、どんなに熱心に福音を語っても、もはやそのことばは、彼らにとって、雑音にしかすぎないものとなってしまうのです。つまり、福音は、相手の心に届かなくなります。それでは、周囲の者は自殺したいと思っている人にどのように接したらよいのでしょうか。

 まずはじめに注意すべきことは、彼らが心身共に病んでいないかどうか見極めるべきです。それは、心身の病気など健康に関する悩みが自殺の原因のトップを占めているからであって、このことをしっかり認識する必要があるのです。心身の病気であるかどうかということについて自分で判断できない場合は、早めに専門家の助言を求めることをお勧めします。

 熱心なクリスチャンであっても、成人病や精神病にかかることがあるのです。特に、最近になって、うつ病や統合失調症は、脳内神経伝達物質のアンバランスによって引き起こされる可能性があることが明らかにされつつあります。また、性格的な*弱さ*のゆえに、人格障害になることも分かってきました。このように考えますと、キリストの福音を信じれば、心身の病にかからないのではなく、もともと、彼らは、こうした弱さを持っていたから福音に近づいて来たと考えたほうが、自然のように思います。

 ですから、われわれは、このような人々に短兵急に説教したり、訓戒したり、忠告したりしないほうがよいのです。まず、彼らを受け入れ、その苦しみや病み苦しんできたことに対する労をねぎらい、優しく接し、安全感や安心感、信頼感を与えることを優先させるべきです。自殺しようと思っている人は、そのような優しさを通して、キリストの福音に気づかされる可能性があります。

 また、「生活・経済問題」などの理由で、自殺しようとしている人々の場合、援助者は、そうした外的環境条件の改善のために、介入したり、調整したり、助言するなどして、少しでも心が安定するよう援助的に働きかけをする必要があるのでしょう。そうした地道な行為の実践を通して、自殺したいと思っている人がキリストの福音を知ることができるよう私たちは祈るべきでしょう。