福祉を通して地域に福音を 第4回 答えが見い出せなくても


佐々木炎

 斎藤次郎さん(仮名)は六十歳代の要介護度2、一人暮らしです。三十歳で結婚し、二人の子どもを与えられましたが、家庭を顧みず三行半を突きつけられて離婚しました。その後は土建業や新聞配達などの仕事を転々とし、十年ほど前からパーキンソン病の症状が出はじめて、五年前からホッとスペース中原の訪問介護を利用するようになりました。

 その次郎さんが体調を崩し入院療養となりました。私は入院から十日後、病室を訪問しました。十日前まではトイレに歩いて行っていたのに、何重にもオムツをはめられていました。服はつなぎ服で、自分では開けられないように磁石式のカギがかけられ、そばには胴体をベッドに縛りつける頑丈な抑制帯が無造作に置かれていました。

 ナースコールは外され、次郎さんに何を聞いても、弱々しい声で聞きとれません。病院の介護助手は「この人はもう終わりよね。やる気ないし……」と次郎さんを目の前にして語りました。次郎さんは牢獄のような場所で気力を失い、今にも消え入りそうな小さな存在とされていました。私は怒りと悲しみで心が痛みました。

 私はベッドに横たわっている次郎さんの冷たい手を握りました。冷え切った心を感じました。

 「分かる? 温もり。私のあなたへの思い、伝わる?」。彼はしばらくすると、能面のような表情だった顔をピクピク引きつらせ、目を赤くして体を震わせました。そして不自由な左腕を動かして流れる涙を拭ったのです。

 「あなたは独りじゃないよ、忘れないでね」。次郎さんは右手で私の手を力強く握り返してきました。私も次郎さんの手を強く握ると、彼の目には次から次へと涙が溢れてきました。私は次郎さんの手を両手で包み握りしめました。

 私は次郎さんの半生を顧み、また現在の生活、そしてこれからを考えたとき、「彼の人生はいったい何だったのだろう」と思いました。慰めも、癒しも、解決も見い出せない。答えを見い出せない私は、自分は無力だなあとふさぎこみました。今このあなたにどうしたらよいのか答えや解決が見えない、私は次郎さんの手を握ることで、今を共にすることしかできませんでした。

 私たちは人生のなかで、病気や老い、試練や苦難に出会います。それはただ単に、身体がつらいだけではなく、心に、生活に影響を及ぼしていきます。そして何よりも、生きること自体の危機を迎えます。生きることに迷い、未来を失い、希望は消えます。「どうしてこんな目にあうのか」「どうしてこんなつらい人生なのだろう」「どうせ私にはこんな人生しかない」など、不安や怒り、悩み、深い挫折を感じ、悩みにもてあそばれます。そうやって生きることに揺さぶりをかけられると≪孤独≫を感じ、懐疑的になり、神様にも見放されていると思ってしまうのです。そして人はその渦中で人生の危機に陥るのです。

 でも、その状態は同時に、自己成長や大切なものに気づくチャンス(機会)となるのです。私は老いや障がいは、神様からのプレゼントだと信じています。それは苦しみや悩みを通して≪試練≫にぶつかり、孤独を通して、自分の隣に誰がいるのか、誰が一緒に生きているのか、気づくことができるのです。そのことに何度も出会うチャンスであることを≪老い≫の苦しみは問いかけていると信じています。

 でも一人では孤独に耐えられず、この真理を見い出すことはできません。自分の身近にいる人が、自分を愛し、優しく包み込んでくれて、自分の思いを分かってくれていると思えるようになるには、その人の隣に「これは神さまとの出会いのチャンスだ」と信頼して寄り添い続ける人がいることで可能となるのではないでしょうか。そういう人がいることで、どうしようもない漆黒の人生であっても耐えることができ、明けない夜がないように明日が訪れると思うのです。そして、絶対的な孤独の中で、神の愛に気づき、人生で一番大切なもの、なくてはならないもの、最高の宝に出会うのではないでしょうか。

 神さまに信頼して寄り添う人は、孤独を癒すことはできないけれど、たとえ答えが見い出せなくても、≪どうしたら良いのか分からない≫を一緒に歩むことで、かろうじて生きる力になれば、生き続けていけばきっと……と祈り続けていくことが大切なのではないでしょうか。弱さのなかにある人と共に歩むその手を、私たちは離してはならないのです。

 解決のない不全感を共に味わい、そして一緒に耐えていくことで生きる希望につながっていくのです。そして、人生の中で、病気や老い、試練や苦難を通して痛みも、悩みも、苦しみも益になり、恵みへと変えられるのではないでしょうか。そういう機能が≪老い≫にはあると思いながら、人生を支援する者でありたいと思います。それはささいなことでも大切な役割ではないかと、次郎さんは私に示してくれました。