福祉と福音
―弱さの福祉哲学 第4回 諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ

木原活信
同志社大学社会学部教授

NHK大河ドラマ「八重の桜」のおかげか、同志社大学のキャンパスはカメラをもった観光客で賑わっている。だが、国の重要文化財に指定されているチャペルなどだけでなく、ぜひ見てほしいところがある。
それは「諸君ヨ、人一人ハ大切ナリ」という、新町校地の建物の壁面に刻まれていることばである。これは新島襄の熟慮した教育理念のスローガンのように思われているが、実はそうではない。このことばは、新島襄が一八八五(明治一八)年に、同志社英学校創立十周年の記念式典の式辞の中で、「思わず」発したことばなのである。
新島の留守中に、ある学生が重大な問題を起こし退学処分を受けた。新島がこの学生の将来を嘆き悲しみ、涙ながらに感極まって口走ったことばであった。つまり、そのことばは、ある学生○○君という個人を想起しての具体的なことばであり、少なくとも上から目線の学校長の人生訓とか、理想の教育を語るスローガンではない。
新島はこの記念式典に臨席した来賓の前で、学生退学にまつわる触れられたくない学内の不祥事、不始末を包み隠さずに涙をもって語り、自責の念を表明して、一人の学生の大切さを力説した。
「満場一人トシテ袖ヲ濡サヾル者ナカリキ」というほど、その印象は強く、反響も大きかったようである。現在であれば、式典での「場違い発言」「場の空気が読めない(KY)発言」として非難されるであろう。

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その伏線にあったのが、新島がこの前後にアメリカの友人に送った以下の手紙である。
「私がもう一度教えることがあれば、クラスの中でもっともできない学生にとくに注意を払うつもりだ。それができれば、私は教師として成功できると確信する」(『現代語で読む新島襄』現代語で読む新島襄編集委員会/一七九頁、原文は英文)
この新島の思想を受け継ぎ、その教え子であった留岡幸助(牧師)、山室軍平(伝道者)らが、未だ福祉制度すら整っていない明治時代の封建社会や富国強兵の価値観で固まっていた社会に抗って、貧しさと飢えに苦しむ人たち、非行少年たち、孤児たち、売春を強いられた少女たち、というような社会から忘れられ、国家ですら見捨てたような「小さい」人一人ひとりの救済に福音の灯を掲げて「地の塩」として近づいていった。これが、歴史家も認めるとおり、結果として近代の日本の社会福祉の基礎をつくっていったのである。
これらは、イエスの一匹の羊への眼差しをも想起させる。「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか」(ルカ15・4)それは、迷った羊の行動に非があったことを叱責しているのではないし、残りの九十九匹の羊はどうなってもいいとか言っているのではない。組織の効率性のことを問題にしているのでもない。むしろ、ここでは、迷える一匹の羊を大切に想う羊飼いの情熱を語っている。
つまりその真意は、イエス自身の失われた人一人への常識外れの情熱である。常識的に言えば、「九十九匹もいるのだから一匹ぐらいはいいのでは」ということになる。しかし、イエスは、価値なきものと思われている小さなもの、失われた一匹の羊を大切に想い、それに対して自らの命を犠牲にしてまでもそれを捜す価値あるものと見なす。自らがこの地上に来た目的を「失われた人を捜して救うために来た」(ルカ19・10)と明言し、そのために「いのちを捨てる」(ヨハネ10・11参照)とまで言う。逆に言えば、イエスにとってそれほど「人一人」、しかも「迷える弱い人一人」が大切なのだということである。これこそが福祉と福音の原点であり、新島やその後継者たちが受け継いだ精神であった。
自分が一番大切なものを想像してみてほしい。それがもしなくなったらどうするか。ちょっと捜してみて見つからなければ、「まあいいか」では済まないだろう。もしそうなら、元からそれほど大切でなかったということである。親にとっては自分の子がいなくなれば必死になるはず。私も親として迷子になった息子を捜した経験がある。息子がいなくなった時は、我を忘れるほど動揺して必死で捜し歩いたことを覚えている。
イエスの想いというのも、迷子になっている子どもを捜し回るような切迫感をもって、あるいはそれ以上の桁外れの情熱をもって、今もなお失われた人を捜しているのである。これこそが福音の本質であり、そしてそれが福祉の源泉である。