注目のテノール歌手 べー・チェチョル あなたはもう『奇跡の歌』を聴きましたか?[前半]


『奇跡の歌』フォレストブックス 1400円

本場ヨーロッパで 主役級のオペラ歌手に

 日本ではあまりなじみのないオペラだが、発祥の地イタリアのあるヨーロッパでは音楽を柱として演劇、美術を網羅した総合芸術として社会に深く根ざしている。それだけに、その本場の舞台には、声楽を学んだ者の中でもほんの一握りしか立つことができない。まして文化的背景の違うアジア人には狭き門なのだ。

 その難関を突破して、ヨーロッパのオペラ劇場と契約を結んだ韓国出身のベー・チェチョル氏は、相当な実力の持ち主だと言える。事実、留学したイタリアの国立音楽院を首席で卒業し、その後すぐに劇場と契約を結んでプロデビューを果たした。べー氏は、この時期のことをこう語る。

 「韓国人歌手ですから、初めは新鮮に見えたようですが、時間がたつと、私に対する評価がとても高くなっていきました。『イタリア的な声をもって歌う韓国人歌手だ。とても驚いた』という評価も頂きました」

 このころから、べー氏はテノールのリリコ・スピント(輝かしく強靱な声)の持ち主と賞賛されるようになる。それは、オペラのテナーの中でも多くのレパートリーを歌える特別な声で、世界のオペラ界の頂点に立つ可能性を秘めていた。

 「がんになる直前の時期、私はそれまでの歌手生活の中で最高の状態でした。経歴もたくさん積みましたし、学んできた様々な技術によって声のコントロールも自分なりにできるようになっていました。すべての面でとても自信に満ちていたのです」

甲状腺がんと診断され すぐに手術へ

 二〇〇五年の秋、順風満帆の中で、べー氏は喉に小さな異変を見つける。

 「ある日、喉を触ってみると、何か固いものが感じられました。それに歌うのが思いのほか疲れるようにもなりました。さっそく検診を受けると、甲状腺に腫瘍があると言われました。悪性のがんか、良性のポリープかは、切開してみないとわからないということで、手術をすることになったのです」

 手術前の医師の説明は楽観的だった。手術後は、声が一時的に悪くなるかもしれないという程度で、歌うことには問題ないという診断だった。

 しかし、切開してみると、予想以上にがんは広がっていた。甲状腺がんは完全に取らないと再発の可能性が高いため、医師は声帯のことは二の次で、目に見えるがんを全部取り除く選択をする。その結果、貴重なリリコ・スピントが失われることになった。

 甲状腺の内側を通っている、声帯や横隔膜などを動かす神経にまで、がん細胞が広がっていたため、手術では、その神経を約三センチ切除した。そのため、右の声帯と横隔膜がまったく動かなくなってしまったのである。そして医師はべー氏に「おそらく、もう以前のようには歌えないだろう」と宣告した。

 「私は、もう歌えなくなるかもしれないという不安の中で、歌以外の方法で生きていけるのだろうかと考えました。それまで他の仕事を考えた事がないので、恐れにとらわれることもありました」

苦しい時期に ただ祈り、平安与えられる

 この苦しい時期に、べー氏を支えたのが聖書の神様への信仰だった。

 「声が出ないという現実は、自分の努力でどうにかできるものではなく、ただ神様に頼るしかありませんでした。祈ることだけが、私の心の拠り所であり、平安を与えてくれました。聖書には『わたし(神)の力は、弱さのうちに完全に現われる』とあります。回復するなら、それは人の力ではなく、神様のなさることだと思いました」

 そして、べー氏は、ひたすら祈り、日曜の礼拝だけなく、水曜にも家庭集会を行うようになり、悔い改めるべきことを示されていく。

 「私はクリスチャンで、教会にも毎週のように行き、役員を務めることもありました。しかし、知らず知らずのうちに神様以外のものを第一にしていました。神様はそのことを悟らせるために、私のとても大切なものを取り去ったのです。この苦しみが、オペラのことでいっぱいだった私の心を整理し、神様と一対一の関係で向き合い直すための機会となりました」