時代を見る目 94 オカルト、ファンタジーへの危機感を

田村 昭二
日本同盟基督教団 豊川中央キリスト教会 牧師

「三百万部を買っていただいて、そのうち一・三%以上の方から愛読者カードを送っていただいたことになる。これだけ多くのカードが送られてくるのは異例のこと。」これはハリーポッター・シリーズの翻訳者・松岡佑子氏の弁である。私は実際に読んでみたが、それは単なるオカルトのファンタジーに過ぎない。しかし全七巻の出版が予定され、日本でもことごとくミリオンセラー(世界では「聖書」、「毛沢東語録」に次ぐ販売部数だという)になりそうだと聞けばどうだろうか。また主役は、魔法使いのエリートという設定で、主舞台は「魔法学校」になっているが、この学校名で入学者を募集しているとなると遊びとはいえ背筋が寒くなる。

原作者のJ・K・ローリングは、同書の肉付けのために五年間ほど、魔術師、魔女に関する文献をあさったという。それは、意図してか否かは別にして、中世、近世のヨーロッパの魔女をめぐる血なまぐさい世界の現代への移入を試みたということにはならないだろうか。ヨーロッパの歴史の裏面には魔術師、オカルティズムの伝統が地下水のように流れている。

良識ある社会人はこうしたものを笑って見ているにちがいない。しかし、そこには「お話」ではすまない深刻な問題がある。ある心理学者は、「オカルトを取り込んだカルト集団はこれからも出現し続けるだろう。それは、いわば時代の排泄物であり、これを止めるすべはない」と指摘する。オカルトは第二、第三のオウム真理教を生み出す食物となっているのである。

最近流行している占いについても同様のことである。これは、子どもから大人にいたるまで蝕んでいるが、例えばインターネットで「占い」の項を見ると十数万のホームページがでてくる。それだけ需要があるということである。しかも利用している本人に聞いてみると意外にも「信じていない」という。信じてはいないけれど気になるのである。裏返して言えば、「お遊び」とはいえ占いをすること自体が「占いに縛られている」との告白なのではないだろうか。

クリスチャンは、この種のものにもっと危機感を持ちたいものである。

「また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」(使徒一九・一九)