時代を見る目 243 新しいメディア・リテラシー教育 [3] 
実践使用のメディア・リテラシー

湯口隆司
活水中学校・高等学校 校長

新しいメディア・リテラシー教育 [3] 実践使用のメディア・リテラシーかつて満員の通勤電車でも、新聞紙を折りたたんで読むサラリーマンの姿は首都圏では普通の光景だった。それが今はモバイルをのぞく通勤・通学者へと姿を変え、デジタル化による社会変化の一端を見る思いがする。水面下で「何か」が起きている。日常生活で神話化しつつある「文言」がある。「自由なデジタル空間」「ネットによるグローバルな世界」「格差の解消」など。でもホントだろうか。権力によるネット監視(米国NSAや中国の政策など)やジェンダー・アクセス権の抑制(アラブ諸国)、圧倒的な英語サイト情報の偏重(他の言語情報との格差)など。冷静に見てみると、あの原発の「安全神話」のように言葉が一人歩きし、「後知恵バイアス」でごまかしてはいないだろうか。

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新しいメディア環境は確かに出現している。メディア企業はグーグル、フェイスブックなど世界の大企業による寡占化が各国で進行し、「商品」も様変わりした。
主力商品は、コンテンツ(ソフト、アプリ)、デバイス、プラットフォームとなり、パケット単位で情報が量られ課金もされる。オンラインの書物、音源の購入は日常化し、ネットを利用する個人情報は企業の顧客情報として蓄積され、メールによるマーケティングがいつの間にか浸透してきた。
ニュース報道も同様だ。「ユーチューブ」により、個人が受け手と同時に配信する側にも回り、自らプロモートしている。アラブ過激派による残虐行為がテレビ・ニュースの一部として取り上げられ、まさに「セルフ・マス・コミュニケーション」(カステル)が確実に広がっている。
これまでは、行間を読み、メディアの特性(音や映像の制作手法)を知り、論理的思考で臨むことでメディア・リテラシーは済んでいた。しかし、ICT環境は、従来の固定的・規範的なメディア・リテラシー手法では、水面下の「何か」には太刀打ちできない。SNSのアプリによる「いじめ」、ケータイ中毒、度重なる個人情報の漏洩も相変わらずだ。
ユビキタス(何時で、どこでも、誰でも)を目標とする情報社会の負の一面は水面から表に出てきている。固定され静止したメディアでなく、連続した時間と動いている場所、つまり利用実践(プラクティス)と人とのメディア教育が必要だろう。

※情報・通信に関する技術の総称。「IT」に代わる言葉として使われている。