時代を見る目 223 東日本大震災に思う [1]

木田惠嗣
ふくしまHOPEプロジェクト代表
福島県キリスト教連絡会代表

震災後の2011年7月、FVI(「声なき者の友」の輪)の方々が開いてくださった福島未来会議で、「福島」の地名の由来を聞かれた。思わず、「福島の『福』は福音の『福』です」と語ったところから、思わぬ波紋が広がった。
地震・津波災害の後、原発事故に見舞われた福島は、「フクシマ」と表記されるようになった。「ノーモア・フクシマ」(もう二度と福島で起きた悲劇は起こさない)と叫ばれ、呪いの地であるかのように語られる。しかし、その福島の「福」は、福音の「福」なんです、と叫びたい衝動に駆られての発言であった。

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福島の地にキリシタンの影響が広がったのは、キリシタン大名蒲生氏郷が会津に入部したところから始まる。
氏郷と同時期に大崎の地(現在の宮城県)に入部したキリシタン大名木村吉清が一揆の反乱の責任を負って領地を没収され、蒲生氏郷の客将となった。吉清は福島市の大森城に入り、後に居城を大森城から杉目城(別名大仏城)に移したのだが、この頃、福島城と改名したことが福島の地名の由来であると語られている。このような歴史を知ったとき、家臣のほとんどがキリシタンであった木村吉清が福島と名付けたのであれば、福島の福は福音の福(あるいは祝福の「福」)に違いないという発想が生まれた。
また今から400年ほど前、会津若松市では人口の4割、その隣の猪苗代町では人口の8割がキリシタンであったと伝えられている。
伝道が困難であると言われて久しい東北地方で、このようなキリシタンの黄金時代があったとは驚きであった。しかもそれは、福島だけではなく、宮城も岩手も同様であったという。そんなキリシタンの足跡をたどるうちに、福島の「福」は、福音の「福」だという思いは、次第に強くなっていった。
恐ろしい迫害の時代を過ぎ、人々の心がキリスト教に対して固く閉ざされてしまったかのように見える東北の地。しかし、この震災が、もう一度、福音の島「福島」というアイデンティティに立ち返る契機となってほしいと心から願ってやまない。