時代を見る目 212 3・11――あの日の記憶、そして今 [5] 幼子に寄りそって

小久保 多美子
福島こひつじ幼稚園 園長

緊急地震速報がいく度も鳴り響き、経験したことのない揺れが東北を襲いました。その日の夜、福島、宮城、岩手の海岸線をとてつもなく大きな津波が襲ったことを知りました。
そして、翌日の午後3時過ぎに、福島第一原子力発電所1号機が津波の影響で電力を失って冷却できなくなり、水素爆発を起こしたことを知りました。テレビ・ラジオからの報道は、想像をはるかに超えるものでした 。

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震災の翌日から、幼稚園の通常保育を休みとしました。再開のめどが立てられないままの休園でした。また、放射線被曝への不安から、福島県全土で若い家族の避難が始まりました。私たちの幼稚園でもひとり、またひとりと園児が他県へ避難していきました。どうすることもできない状況の中、園児の家庭から移転の連絡が入るたびに切なさがこみ上げてきました。幼稚園はこのまま閉園せざるを得ないのではないか、という思いもよぎりました。
そのとき、「幼稚園を再開し、早く普通の生活を取り戻したい」という声が園に寄せられました。イザヤ書41章10節のみことば「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」が、私の心を大きく励まし、「復興に最も必要なのは教育である」と考えを改め、幼稚園を再園することにしました。
しかし、だれも経験したことのない非常事態に問題は山積していました。子どもたちのためにできることは何か、模索の日々でした。幸いなことに、卒園児や海外企業の協力により、特殊なジェルを使っての除染が行われ、大幅に園庭の線量が下がり、それまで屋内活動しかできなかった園児たちが外で遊べるようになりました。たくさんの不自由を強いられた子どもたちでしたが、その様子は本当に素晴らしいものでした。屋内では静かに聖書を読み、津波で家族を亡くした友人や、原発作業員の方たちの安全を祈るなど、以前にもまして真剣に祈る園児たちの姿に心から感動させられました。
あれから1年が経ちました。
福島の復興はまだ始まったばかりです。未来にはばたく子たちのために、脱原子力発電の声をあげていくことも大切なのかもしれません。美しい福島を取り戻し、子どもたちが健康でたくましく心豊かに成長できるように、心を込めた教育・保育をしていきたいと思いを新たにしています。