時代を見る目 209 3・11――あの日の記憶、そして今 [2]

伊藤 公一
宮城県 大和町立鶴巣小学校長

私は2008年に、校長職としては2校目となる仙台市立中野小学校に赴任しました。これが、神様の第一のご計画でした。この中野小学校は、蒲生海岸と七北田川が合流する河口近くに面した位置にあり、屋上のある二階建てです。校舎は土手よりも低い場所にあるので、土手からは一階建てに屋上つきの高さになります。徒歩5分の所には、シーサイドバイブルチャペルがあり、牧師夫妻とは20年来の知人です。
神様のはかり知れない2つ目のご計画は、連合町内会長から依頼を受けた、全学区民合同での津波避難訓練でした。即答で受諾したら、歴代校長には断られていたと聞かされました。津波避難訓練は、年1回。3年間で3回実施してきました。
私は赴任したその日から、毎日3回、「子どもたちと先生方をすべての災い・災難・事件・事故から遠ざけてください。蒲生の人たちがシーサイドバイブルチャペルで一人でも多く救われますように」と、3年間祈り続けてきました。そして毎月、みことば入りの学校便りも全学区民に届けてきました。
主は、私のこの祈りに答えてくださいました。

*   *   *

あの3月11日―。松林や電柱を乗り越えて襲ってきた10メートル以上の大津波は、なんとシーサイドバイブルチャペルにあたって砕かれて低くなり、屋上にいた、児童を含む避難民600名全員が助かりました。主はこの“子ロバ”を「お入り用なのです」(マタイ21・3)と、3年前から蒲生に遣わし、備えられていました。
「私がしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります」(ヨハネ13・7)。ハレルヤ!
外は小雪が舞い、校舎一階は流されてきた車や家のガレ場となり、二階は20センチの床上浸水となりました。私はこのとき、全児童155名中、すでに帰宅していた46名の安否が気がかりでした。主に信頼して祈り、3日間行方を捜し続けました。そして主は、あり得ない方法で、数々の奇跡を起こしてくださっていたのです―。