時代を見る目 208 3・11――あの日の記憶、そして今 [1]

伊藤 順造
医師、 いわき希望教会牧師

3・11は、私の公私のあり方を根底から覆してしまいました。あの日私は福島県いわき市にある市立病院で勤務しており、耐震評価で震度6が来たら崩壊するといわれ続けていた旧病棟にいたからです。阪神淡路大震災で5階が押しつぶされた神戸西市民病院の映像が脳裏に浮かび、「主よ。私の地上の生涯はここで終わりですか。助けてください」と、叫びに近い祈りを発しました。そして、福島第一原発の二度の爆発による放射性物質の飛散は、教会のあり方を根底から崩してしまいました。見えない敵、しかしガイガーカウンターをあてれば確実にわかる、「言いしれぬ恐怖感をもって迫ってくる相手」との神経戦です。実に教会員の4分の3が県外に避難したのです。いわき市では、悪意に満ちた様々な中傷(デマ)が、まことしやかに流れました。「坊主と医者が真っ先にいわき市からいなくなった」というのもその一つです。普段偉そうなことを言っている立場の者も、いざとなれば……という庶民感情の裏返しです。
私はそのいわき市に、あの日から今なお、牧師として医師としてとどまり続けています。27年前、医療宣教師としていわき市に主の群れを形成すべく主に導かれましたので、“福音宣教の地いわき市”からの脱出という選択肢はあり得ませんでした。一方、勤務する市立病院は、浜通り地方唯一の災害拠点病院ですので、避難勧告地域に入らない限り、押し寄せる患者に対応せざるを得ません。
震災直後の4日間、いわき市内で最も放射線量の高い北部(すなわち原発に最も近い地域)にある避難所の巡回診療を行いました。ゴーストタウン化した町を車で通り抜け避難所の中に入ると、数百人の避難者がすし詰め状態でいるのです。その異様なコントラストに打ちのめされる思いでした。
3・11東日本大震災を境にすべてが変わってしまいました。ですがその中で唯一、変わらないものがありました。それは「グリーフケア―心の痛みに寄り添う」という、20年間続けてきた働きです。それを小さな冊子にまとめました。これは震災直後の50日間、牧師として医師として燃え尽きを回避できた赤裸々な告白の記録であり、震災後8か月間の被災者の方々の叫びの記録です。ぜひ多くの方に手にとっていただきたいと願っています。
  iwaki-hope-church@nifty.comまでご連絡いただければ冊子をお送りします。