時代を見る目 194 韓国併合100年を迎えて <2>
韓国併合が遺したもの

崔 善愛(チェ・ソンエ)
ピアニスト

    数年前、ある教会での講演後、かけよってこられた方がこうおっしゃいました。
 「チェさん、私たちキリスト者の国籍は天にあります。ですから、外国人、日本人、韓国人ということにそんなに悩まず、信仰によって同じキリスト者として国籍を超えて仲良くしましょう」と。きっと悶々と悩み続ける私を何とか慰め、励ましたいと思われたのでしょう。けれども、どうしてもそのとき「そうですね」と応えられませんでした。なぜなら私も、できることなら国籍にこだわらずに生きていきたいと思うのですが、そうさせてはくれない現実があるからです。
 日本で朝鮮学校に通うこどもたちは、民族衣装風の制服を着用して登下校していましたが、近年幾度となく女子学生のスカートが切られたり、「朝鮮に帰れ」「スパイのこども」という暴言を浴びせられるために、学校は制服着用をとりやめたそうです。このようなことを経て、こどもたちは家の外で両親のことを朝鮮語で「アボジ」「オモニ」とよばなくなったと聞いたことがあります。また数か月前、私宅の最寄り駅前に、「在日の参政権を絶対に許さない集会」と書かれた大きな看板が1週間以上ありました。この看板を見るたび、私は身の危険を感じました。その集会にはどのような人が集まったのでしょう。同じ地域に住む、私にとっては隣人です。このように、日常的に感じる恐怖が在日にはあります。在日の約9割の人が、植民地時代の創氏改名が終わって65年経った今も、本名を隠して日本名で生活しているのは、日本人への潜在的な恐怖心や不信感があるからではないでしょうか。
 2005年、私の娘たちの通った公立小学校では、「君が代」を大きな声でうたいなさい、という「声量指導」がありました。音楽の授業で「君が代」の練習があり、「指3本口に入る位、大きな口をあけて大きな声でうたわないと先生が教育委員会に罰せられるのですよ」と言いながら、先生は娘の顔をちらちらと見たそうです。娘はそのような「君が代指導」に悩み、卒業式の「君が代斉唱」の際、歌わず着席しました。まだ小学校6年生だった娘が着席したことを、先生も友人も誰も受け止めてはくれませんでした。娘は「なぜ自分が着席したのか、その理由を話しても、誰もわかってくれないだろうから話さなかった」と言いました。「君が代」という曲が背負っている歴史的責任を、私はどのような言葉を持って伝えられるだろうかと今、考えています。