時代を見る目 146 こだわらない生き方(1) 食べなくてはならない?

森田 哲也
日本国際飢餓対策機構 元エチオピア駐在スタッフ
日本長老教会所沢聖書教会会員

 一日一食。私がいた世界最貧国のひとつ東アフリカ・エチオピアの貧しい農村では、食べ物に困り一日一食がやっとで、食べられないという農民も多い。食べ物も雑穀に塩や唐辛子をかけたものだけ。成長期にある子どもは栄養不足になり、体の抵抗力が低下し、予防・治療可能な病気(風邪、下痢による脱水症状、マラリアなど)にかかり、急死する子もいる。それでも、少しの食べ物で農作業、家事手伝いをし、時間があれば炎天下を一時間かけて学校まで歩いて行く。学校は机やいすが不足し、ひとつの教室に百人以上。土の床に座って勉強する子もいる。それでも子どもたちの表情に悲壮感はない。子どもが友人、親、兄弟を殺す事件はめったにない。「ひきこもり」もいない。ひきこもるためのぜい沢な個室や時間もないのだから。

 一方、日本のデパ地下(デパートの地下食料品売り場)には、弁当、惣菜、ケーキなどがあふれ、閉店間際になっても依然としてあり余っている。これだけ食べることに不自由しないのに、心が満たされず他人を愛するどころか傷つけることに意味を見いだす若者が急増している。エチオピアから帰国するたびに、日本の矛盾した生活、社会の仕組みに危機感を感じる。

 日本人にとって「衣食住」は、完全に満たされなければ「ならない」ものとしてとらえられているようだ。ちょっとでも他人より欠けていると、「……せねばならない精神」が彷彿する。必要のないものを必要だと錯覚させる広告産業におどらされ、買うことや持つことが一番だと勘違いしている。より健康になるための「栄養豊富」な食べ物があるのに、国家医療費の急騰が抑えられないほど生活習慣病が増える。食べるものを少なくすることで逆に体が楽になるのに、それを実行している人は少ない。

 成長期にある子どもは別にして、一日三食腹いっぱい食べなくても元気な大人が多いエチオピア。農民と共に一日一食で終わらせることが多かった経験からも、食べることは「せねばならない」ことではないと教えられ、この一年、毎日一食か二食を抜く生活を実践し、健康を維持している。自分の価値観が変えられたことで、それまで以上に貧しいエチオピアの農民の心に近づくことができた。

 「パンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことば(マタイ四・四)」によって生きる私たち。礼拝後の昼食も、時にはパン一切れにするのもいい。