時代を見る目 114 胸をはって生きる(2) 恋愛・結婚・性

吉澤 恵一郎
中四国地区キリスト者学生会 主事

 大学も、学生もずいぶん変わったということをよく耳にする。確かに、キャンパスの雰囲気、学生たちのライフスタイルは様変わりしたと思える。しかし、青年期を生きる者にとって恋愛・結婚・性についての悩みは普遍的である。

 恋愛・結婚・性に対する日本人の意識も大きく変化したと言えるのではないだろうか。「できちゃった結婚」という言葉は、すでに市民権を得た感もある。パソコンや携帯電話の普及に平行して性に関する情報は、より過激に、より高速に、増幅、拡大されていく。私たちは、このような時代の中で誘惑に直面し、正しいことが分からなくなってしまう危険にさらされている。

 確かに、「結婚外の性交渉」が罪であることが理解されにくい現実はある。映画、ドラマ、コミック、流行歌の中ではルールを無視した恋愛を、誰もが憧れ、目指すべきゴールのように美しく、ロマンチックに描く。「聖書は罪だと言っています!」とクリスチャンが力んでも「時代遅れ」「それぞれの自由」「自然な行為」「みんながやっていること」など、この世の反応に、はねかえされてしまうことがあるかもしれない。しかし、聖書はこの世のもっともらしい弁明がサタンの嘘であることを見破る。

 「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。」(ヨハネの福音書8章44節)

 サタンは、性の誘惑を武器に、私たちの人間関係、夫婦関係、親子関係を破壊し、永遠の滅びに陥れようとしている。聖書のメッセージがこの世の考えと食い違うとき、私たちは戸惑いを覚えるかもしれない。けれども、その時はチャンスなのだ。世の中と同じことをしていては世の中に埋もれていくだけである。私たちのキラリと光る違う生き方を見るとき、世の人たちは、クリスチャンの生き方に振り返る。実に、この信仰の戦いの中に宣教の可能性をも見出すことができるのだ。だからキリスト者は、胸をはって、恋愛・結婚・性について、それが、どんなに尊く大切で祝福されたものであるかを正しく世に証していかなければならない。