時代を見る目 109 日本宣教と本(3) 赦し忘れられる恵みの神

千代崎 秀雄 師
千代崎 秀雄
日本ホーリネス教団清水教会 協力牧師

 時代を見る目は、歴史を見る目をあわせ持たないと単眼的思考になりがちで、偏った、視野の狭い見解へと歪みやすい。今がどんな時代なのか──は歴史の流れのなかで考察せぬと近視眼的になりがちだ。その意味で戦後58年をすぎた今、表面的にとらえるのでなく、歴史的考察の中で掘り下げることが重要となってくるのではないだろうか。

 先日帰天した弟の蔵書の中から形見として何冊かの本をもらったが、その中の一冊に『「大東亜戦争」を知っていますか』(倉沢愛子・講談社現代新書)があった。

 私自身、1928年生まれなので、あの戦争はむろん知っている。しかしその知識がいかに皮相的なものかを、この本を読んで痛感した。著者は大学の教壇にたつこと約30年、その経験と実力をフルに生かして東南アジアの各地へ行き、聞き書きで、かつてあの戦争で日本はアジアの人々になにをしたのか──をシッカリと掘り起こし、「大東亜戦争」の実態を明らかにする。日本に欠けがちな「加害者意識」を目覚めさせてくれる良書と思う。

 結末(241頁)に著者がクワイ河のそばで見た石碑のことば、「許そう、しかし忘れない」を紹介する文章を見て、心打たれた。被害者は精一杯の寛容さをしぼり出して加害者を「赦す」ことはできよう。しかしその悲惨な被害経験を「忘れられない」のは当然。日本人としてそれは批判できない。

 そう思うと主の赦しは深い。私は主イエスの十字架の恵みを思った。主は私たちの罪を赦し、しかも……そのもろもろの罪を忘れて下さる。詩篇103篇9節、その他のみことばを深く味わった。「赦そう、しかし忘れまい」とは主イエスはおっしゃらない。

 クワイ河の鉄橋とはあの戦争の後期にビルマへ侵攻するために、鉄道(泰緬鉄道)を突貫工事で日本は完成させた。その工事で酷使されたのは米英軍などの捕虜の兵士たちや民間人たちだった。その人たちが戦後に建てた碑に刻んだのが「……しかし忘れない」ということばだ。この本は老若男女、信者未信者を問わず日本人必読の書の一つと思う。こういう本で下地が耕された上で福音がまかれたら、日本宣教の前進は確実と信じる。