新約聖書よもやま裏話 第9回 「過越の祭と聖餐式」
新しい契約

伊藤明生
東京基督教大学教授

伊藤明生

過越の祭り

 イスラエルの神である主が、自分たちの先祖を奴隷の家エジプトから救い出してくださったことを、イスラエルの民が覚えて祝うのが「過越の祭り」だ。

 「過越の祭り」は、初子を打つ者が家の前を過ぎ越すことに由来する。出エジプト記を読むと、エジプトの王パロとモーセとの対決(もちろんモーセの背後には主ご自身がいる)は、エジプトを襲う一連の奇跡的災害という形を取る。

 主とモーセに逆らうパロとエジプトとを襲う災いの最たるものは、エジプト全土の初子を打つというものであった。その際、主はイスラエルの民に過越のいけにえとして羊をほふり、その血をかもいと門柱につけるように命じた。初子を打つ者は、かもいと門柱に羊の血がある家の前は、初子を打たず通り過ぎた。

 出エジプト以来、主の命令に従って、長年イスラエルの民は過越の祭りを祝ってきた。過越の祭りとは、名実ともにイスラエルが神の民として立っていく一連の出来事──種のない、発酵させていないパンを持って急いでエジプトを脱出したこと、主がイスラエルのために大風を吹かせて紅海を分けて乾いた地を歩くようにして渡ったこと、さらには、シナイ山で主が十戒をはじめ律法を授けて、契約を締結したこと──を想起させる祭りであった。

メシア待望

 二千年前イエスが地上を歩まれた時代にも、過越の祭りは祝われていた。過越の祭りが祝われる期間は、いやがおうでもユダヤ民族の民族意識が昂揚する季節であった。あの「シュロの日曜日」に、イエスがロバに乗ってエルサレムに入城するのを群衆は熱狂的に迎えた。この日、群衆が熱狂的にイエスを歓迎した背後には過越の祭り独特の雰囲気があった。

 馬ではなく、ロバがイスラエルの王の乗り物であった。いつか必ずや、いにしえの王ダビデのような力強い王を神が再び遣わされ、ご自分の民を異邦人・異教徒の支配から 解放してくださるに違いない、とユダヤ人は信じて疑っていなかった。

 ナザレ人イエスは、もしかすると、その王、「メシヤ」と呼び習わされてきた解放者かもしれない。「もしかすると」という思いから、「かもしれない」と変わり、過越の祭りのころには、その人に違いないとの確信にまでなっていたのだ。

 しかし、一週間もたっていない同じ週の金曜日には、群衆たちは「十字架につけろ!」と、祭司長たちの扇動によるとはいえ、叫んだのである。そして、ローマに反逆したかどで(少なくとも、表向きの理由は)十字架上でイエスは処刑された。

聖餐式の制定

 十字架上での死こそが受難週のクライマックス。イエスは、捕まる前の晩に弟子たちと最後の晩餐を囲んでいた。最後の晩餐でイエスは聖餐式を制定した。通常、キリスト教会では月に一度、往々にして第一主日に聖餐式を執り行う。

 聖餐式で私たちはパンと杯(実際に飲むのは、その中身)を陪餐する。パンは、十字架上で引き裂かれたイエスの肉を、ブドウ汁は流された血を象徴することは衆知のことだろう。

 杯のうちのブドウ汁を指して、多くの人々のために流される契約の血であることをイエスは強調した。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。」(マルコ一四・二四)「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい」とパウロは「主から受けたこと」としてイエスの言葉を書き残している(皂コリント一一・二五)。聖餐式という形で、イエスはあらかじめ、十字架の意味を弟子たちに説き明かした。

 ユダヤ人たちは、イエスが逮捕され、十字架刑に処されたことで失望したにちがいない。むしろエルサレム入城後に、イエスが捕らえられたときには、すでに失望が始まっていたかもしれない。十字架は、まさに過越の祭りの際に強調されてきたユダヤ民族の民族意識であるメシヤ待望とナザレ人イエスは相容れないことを明らかにした。

契約の更新

 しかし、イエスが聖餐式を制定した聖書の箇所を読み返すと、十字架にこめられた意味を見い出すことができる。まさに、イエスの十字架上での死とは、神が神の民と契約を締結したことを意味する。パウロは、新しさを強調している。

 出エジプト後、イスラエルの神である主がシナイ山でイスラエルの民と契約を結んだ。いわば、その契約の更新が十字架上でなされたのである。ほふられた羊、過越のいけにえでイスラエルの初子は買い取られ、神の民全体は奴隷の家エジプトから解放された。イエスが十字架上で肉を裂かれ、血を流されたので、私たち罪人は買い取られて、罪赦された。「新しい契約」を縮めて新約、「旧い契約」を縮めて旧約と私たちはいう。