文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第29回 29回)黙示録の解釈 中

関野祐二
聖契神学校校長

 覚悟を決めて(!)黙示録と向かい合い、そのみことばを解釈する際に求められるのは、解釈学の基本である「釈義」、すなわち著者と著者を霊感した聖霊の意図を探ること。後者が時に著者や読者の理解を超える可能性はあるにせよ、基本的には書簡と同じく、黙示録の主要な意味は著者ヨハネが意図した意味ですし、それは当時の黙示録読者も理解できた意味でなければならないはずです。

● 過去、未来、象徴

「黙示」文学の形態をとる黙示録の歴史観と時間感覚は独特です。過去主義的解釈によると、この書は紀元一世紀末の、ローマ圧政に苦しむ教会に宛てた励ましの「手紙」。冒頭三章に登場する七つの教会は当時実在した教会ですからこの読み方は健全ですが、四章以降はどうでしょうか。未来主義的解釈で、黙示録は当時の人々にとっても私たち現代人にとっても、いまだ起こっていない未来の出来事に関する「預言」。それだけでもなさそうです。さらに歴史主義的解釈では、黙示録を二千年の教会史絵巻として読み解くのですが、例えば九・一一事件は何章何節の成就という読み方はあまりに恣意的で一致がありません。もうひとつ象徴的解釈は、記述や表象を字義的にはとらえず、あらゆる時代のキリスト教会とこの世との戦い、その渦中に生きるキリスト者の証言と神の守りの図と読みます。
結局のところ私たちは、これらを統合した過去・未来・象徴主義的解釈を求められているのでしょう。まず当時の時代環境に立って釈義し、未来の預言を可能な限り読み解き、普遍的メッセージを汲み取ったうえで、現代のキリスト者に適用するのです。これぞ、啓示/霊感された正典としての黙示録解釈。「黙示」の原意は、語感から連想するめいた書どころか、「覆いが取り除かれて明らかにされること」なのですから。

● 表象の理解

黙示録に多数登場する比喩表現は、「象徴」「幻」「イメージ」など言い方も様々ですが、ここでは「表象」と統一しておきましょう。その主な資料は旧約聖書で、黙示文学なども情報源ですが、ヨハネはそこに新しい意味を付与しています。ある場合にそれは一貫しており、たとえば海から出て来た「獣」(一三・一など)は世界帝国の標準的表象。別の表象は流動的で、ユダ族から出た「獅子」(一回のみ)は「小羊」に変わり、(五・五―六)、一二章の(良い)「女」は一七章で邪悪な存在に変化します。ヨハネ自身により解釈された表象、たとえば「七つの燭台は七つの教会」(一・二○)、「竜、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇」(一二・九)などは他の表象解釈に役立つとしても、多くはおそらく一般的意味と考えられます。たとえ話の解釈と同じく表象全体に意味を見いだすべきであって、詳細な描写にすべて意味付けをしようとすれば、アレゴリカルな解釈に陥るでしょう。「太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。……」(六・一二―一四)は、地震の表象全体を印象的にする効果があっても、それ以上の意味はないと思われます。
総じて黙示録の表象には、未来の詳しい歴史を記述する意図はほとんどなさそうです。ヨハネの大きな関心とは、現在の状況にもかかわらず神が歴史と教会をコントロールしていること。教会は苦しみと死を経験しますが、それはキリストにある勝利なのであって、キリストは敵をさばき、神の民を救うのです。すべての表象はこうした著者のより大きな関心に関係づけて見るべきでしょう。

● 患難と憤りを区別する

「私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた」(一・九)。この箇所こそ、黙示録の著者と読者が置かれた歴史的文脈を理解する鍵。当時の読者が苦難にあずかっていることを示す箇所は多くあり(二・三、八―九、一三、三・一○他)、それは「獣を拝む」ことを拒否した人々のうめきの始まりでした。
ヨハネは、苦難と死が目前にあることを警告します。教会と国家は対立の途上にあり、初めの勝利は国家の側に現れて、その状態は、良くなる前に悪くなる(六・九―一一)。しかし、キリストが歴史の鍵を握ってすべてを支配し、教会は御手の内にあるのだから(一・一七―二○)、死を通ってさえも勝利する(一二・一一)。ついに神は、苦しみを引き起こした者たちに怒りを注ぎ、忠誠を保った人々には永遠の安息をもたらすであろう。
ここで、「患難」と「憤り」を区別することが重要ポイント。混同すると黙示録はわからなくなります。患難(苦しみと死)は教会が耐え忍ぶべきもの、(神の)憤りは神の民を苦しめてきた者たちの上に注がれるべきさばきなのです。さばきが訪れた時、さばかれる者たちは「だれがそれに耐えられよう」(六・一七)と叫びますが、耐えられるのは神が証印を押し、「その衣を小羊の血で洗って、白くした」人たち(七・一四)。この励ましこそ、迫害を耐え忍ぶ読者と、御国の完成を待ち望む私たちにとって、黙示録が伝えてやまない使信です。