文学ジャンル別聖書の読み方ガイド 第17回 律法の解釈 (上)

関野祐二
聖契神学校校長

 「律法」と聞くと、私たちは反射的に律法学者・パリサイ人の硬直した律法主義を連想し、律法VS福音のような対立概念でとらえ、律法の束縛から今は自由なのだ、と強調します。そのせいか、モーセ五書に収録された律法が通読で巡ってくると、それを新約の時代にどう解釈すべきなのかわからず、立ち往生することもしばしば。六十六巻が正典として与えられている事実をふまえ、律法解釈に正面から取り組みましょう。

● 初期イスラエル史と律法

 数世紀にわたり、当時最強の国エジプトで奴隷生活を強いられたヤコブの子孫たちが、主なる神のみわざで国を脱出した「出エジプト」。それは単なる民族独立の輝かしい物語にとどまらぬ、途方もなく大きな変化と困難を伴った出来事でした。荒野を旅し、最終的には約束の地カナンで、共に生きるためのコミュニティ形成を求められた彼らは、「神の民」としてのアイデンティティ、神との関係と相互の関係においてどうあるべきか、導きが必要だったのです。エジプトでの生活様式と文化を払拭し、所有しようとしている地に住むカナン人の文化に同化しないためにも、生き方の基準とガイドライン確立が急務。そこに律法の役割がありました。

 律法は、イスラエル共同体の生き方を示し、主なる神との関係および神礼拝を確かなものとするため、神が与えた賜物。同時に律法は、彼らを取り巻く諸文化との境界線を定めました。加えて大切なのは、律法の契約的性格。それに気づく時、私たち新しい契約に生きるキリスト者も、旧約律法の意義と役割をふさわしく位置づけ、正しい解釈が可能となるのです。

● 律法とは

 旧約聖書には、神への忠誠のしるしとしてイスラエル民族が守るよう求められた戒めが六百以上あり、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の四書に収録されています。創世記に律法は含まれていませんが、先の四書と合わせたモーセ五書を「律法」「律法の書」と呼び、さらには旧約全体を「律法」と呼ぶこともあります。旧約聖書それ自体がモーセ五書律法の適用記録だからです。しかしここでは「律法」を、出エジプト記~申命記に書かれている、法的条文形式の規定に限定し定義しましょう。問題は、この律法条文をキリスト者がどう解釈し、適用するかです。

● キリスト者と律法
○ 旧約律法は契約

 そもそも契約は二つのグループ間で結ばれ、双方が義務を負うもの。旧約時代の一般的契約は、領主や君主が臣民・しもべと交わしました。領主が臣民の利益と保護を保証する代わりに、臣民は領主に忠誠を尽くす義務があり、不忠実な場合は契約に基づく罰が科せられたのです。臣民が契約条項を守ることで、領主は臣民の忠誠を確認できました。神はこれら古代の契約(大王契約)に類似した形で旧約律法を定め、ヤハウェなる主と、主のしもべイスラエルの間に契約を結びました。利益や保護と引き替えに、イスラエル民族は律法を守ることが期待されたのです。

○ 旧約律法イコール我々の契約ではない

 旧約聖書は文字通り旧い契約。それゆえ旧約律法の条文は、新契約で更新されない限り私たちを拘束しません。すなわち、新約聖書において言い換えや補強がなされないなら、旧約律法はもはや直接には神の民に有効とならないのです。ただし、神が新約の民に、旧約のイスラエルといくぶん異なる服従と忠誠のあかしを期待するとはいえ、忠誠それ自体になんら変わりはありませんので念のため。

○ 旧契約のあるものは新契約で更新なし

 市民律法は、古代イスラエル社会の処罰規定ですから、基本的には当時の該当する人々が対象。また祭儀律法は、彼らがどのように神礼拝を実行すべきか、いけにえの儀式を中心に、礼拝器具やささげものの種類、方法などを定めたものですから、私たちに対し直接には適用されません。しかし、十字架による犠牲で明らかなように、新しい契約は旧い律法の廃棄ではなく、成就でした(マタイ五・一七)。

○ 旧契約のあるものは新契約で更新済み

 旧約の道徳律法のうちいくつかは、新約聖書で言い換えられ、キリスト者にも適用されています。それは新しい契約を通してすべての神の民に適用し続けるよう、神が最初から意図していたもの。具体的には、マタイ二二章で主イエスが総括した二つの基礎律法、「神を愛せよ」(申命六・五)と「人を愛せよ」(レビ一九・一八)がそれです。

○ 旧約律法はすべて我々への神のことば

 神は旧約律法によって、新約時代の私たちに「向かって」直接に命じているのではなく、旧約律法「について」知ってほしいのです。古代イスラエル民族という契約相手に、神がご自身のみこころを表した具体例だからです。

○ 更新されたものが「キリストの律法」

 結論として、旧約律法から更新されたキリストの律法とは、「十戒」(出エジプト二○・一―一七、申命五・六―二一)と「二大基礎律法」。これらは現在でもキリスト者に有効なものとして、新約聖書にたびたび引用されていますが、他の旧約律法がキリスト者を拘束するとの確たる証拠はありません。