戦争を知らないあなたへ ◆自分たちが殺されるだけではない

鈴木伶子
キリスト者平和ネット代表

一九四五(昭和二〇)年三月一〇日、東京の本郷中央教会の牧師館に住んでいた私の家では、下の妹が生まれて三日目。私は、分身のように可愛がっていた園子ちゃんという人形を「赤ちゃん」に貸して寝ました。空襲警報が出たと夜中に父に起こされ、外を見ると、夜空一面に赤や黄色のキラキラ光るものが落ちていました。それが油脂の詰まった焼夷弾で、東京の下町一帯を一晩で燃やし尽くすものだとは知りませんでした。「今夜は危ない」と父が言い、隣のコンクリート造りの教会堂に移りました。元気な人は後楽園庭園や東大構内まで逃げ、教会にいた人たちは、病人や老人、そして生まれたばかりの赤子を抱えた私の家のような、弱い人たちだけでした。
教会の事務室にいた私たちに、牧師館も焼けたという知らせが入りました。その瞬間、園子ちゃんが焼けた、次は自分も焼けると思いました。事務室の空気も熱くなり、掲示の紙が風でくるっと巻き上がっているのをぼんやり見ていた私を父が抱き上げ、三歳の妹祐子といっしょに膝に乗せると、自分のオーバーを頭からすっぽり被せて言いました。
「伶子も祐子も、もうじき天国に行くんだよ。いま神様が美しい大きな白い羽を作っていらっしゃる。伶子と祐子はその羽をつけて天の使いになるんだ。天国の野原は、きれいな花が咲いて鳥が歌っていて、とても美しい。怖いことや辛いことは何もないんだよ。」そして父はいつものようにブラームスの子守歌を歌ってくれました。あなたのまわりにはきれいな花が咲いている、だから朝が来るまで安らかに眠りなさい、という意味の歌でした。疲れきっていた私は、それを聞きながら眠りにおちました。
翌日、奇跡的に燃え残った教会と消防署を除き、辺り一帯が焼け野原になっていました。はるか遠くに湯島天神の鳥居と御徒町の高架線が見え、その先も見える限り、真っ平らな焼け野原が広がっていました。前年まで父が牧師をしていた亀戸教会の会員、私を可愛がってくれた人たち、いっしょに遊んだ子、みんなその晩に焼け死にました。わずか二時間の空襲で一〇万人の市民が焼け死んだのです。
(『戦争を知らないあなたへ』より一部抜粋)

『戦争を知らないあなたへ』
クリスチャン新聞編
A5判1,000円+税
いのちのことば社