恵み・支えの双方向性 第6回 非言語的コミュニケーション

柏木哲夫
金城学院 学院長
淀川キリスト教病院 名誉ホスピス長

〈コミュニケーション〉
コミュニケーションは情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意味でも使われます。一方通行ではなく双方向性という要素が重要視されます。コミュニケーションには言葉を介しての言語的コミュニケーションと、身振り、手振り、顔の表情などによる非言語的コミュニケーションがあり、意外なことに後者が七〇%を占めると言われています。コミュニケーションに関して、私が精神科医として経験した忘れがたい患者さんを紹介します。

〈緘黙症の女性患者〉
医局のローテーションでK病院へ一年間の予定で赴任しました。病棟に四十七歳の女性患者Yさんがいました。カルテには「緘黙症」とあり、この一年間一言もしゃべらないと記載されています。部長も私の前任者も薬を工夫したり、グループ療法、行動療法、作業療法、さらに電気ショック療法まで試みたりしましたが、効果がありませんでした。音には反応するので、耳は聞こえていることがわかっていました。仮面様の顔貌をしており、いかにも感情が動かない感じがしました。私も緘黙症に関するいろんな書物や文献を調べて、効果がありそうな方法はすべて試みましたが、Yさんは一言もしゃべってくれません。
半年ほど経ったころ、医局にあったジャーナルを読んでいると「Being with the patients」という記事が目に留まりました。緘黙症の患者と生活を共にすると、長くかかるが言葉が出るようになる場合があるとの報告でした。私はこの記事を部長に見せ、普段詰め所でするカルテの記載その他の仕事を、机を持ち込んで、Yさんの部屋でさせてほしいと頼みました。部長は不承不承許可してくれました。それから半年間、私は詰め所での仕事、自分の勉強、読書などをなるべくYさんの部屋でしました。Yさんは私の存在にはほとんど無関心のようでした。私はときどき「Yさん、何でもいいから、一言しゃべってよ」と懇願しましたが、効果はありませんでした。

一年間の勤務を終えて、荷物をまとめ、駅までタクシーで行くことにしました。玄関には部長やナース、数人の患者さんが見送りにきてくれました。「お世話になりました」と言って頭を下げ、顔を上げたとき、一番後ろにYさんがいるのが見えました。私はうれしくなって、Yさんに手を振りました。そのとき信じられないことが起こりました。Yさんが一言「ありがとう」と言ったのです。私は自分の耳を疑いました。幻聴ではないかと思いました。しかし、その場にいた人はみんなYさんの「ありがとう」を聞きました。私はタクシーの中で駅まで泣きじゃくり続けました。Yさんはその後また一言もしゃべらなくなりました。そして数年後肺炎で亡くなったと聞きました。
言葉を交わすことはありませんでしたが、私が個人的な関心をもって、空間を共にしたことがYさんに伝わったのだと思います。

〈急性の心因反応を示した女性〉
精神科の医者になって二年目の経験です。某精神病院の外来を担当していました。二十八歳の既婚の女性Mさんが母親に付き添われて診察室に入ってきました。椅子に座るなり、互いに関係のない言葉を並べ始めました。「空が……、家の雲……、自動車……、あの人、赤いマフラー……」といった具合です。精神科の教科書に記載されている「サラダ語」(サラダのようにいろいろのものを器に入れたような状態)という症状で、急性の心因反応の特徴の一つとされます。夫の浮気がわかって急に精神的に不安定になったと母親は言います。
入院の必要があることは短時間でわかりました。私はMさんの顔を見て、うなずきながら、どの病棟に入院してもらおうかと考えていました。すると突然Mさんが「先生、私の言うことをしっかり聞いてください。先生はほかのことを考えているでしょう」と言ったのです。私はびっくり仰天しました。すぐに謝りました。「ごめんなさい。あなたの状態を考えると入院が必要だと思って、どこのベッドがいいか考えていたんです」と。それには答えず、Mさんは再び「サラダ語」状態に戻りました。
ちゃんとしたコミュニケーションが取れないほど精神的に不安定な状態になっている人でも、自分が人にどのように見られているかに関しては、非常に敏感だということを教えられました。