少年たちは現在(いま)・・・ 10 フリースクールからかいま見た姿

少年たちは現在(いま)・・・
塚田 明人
待望塾代表

ついにわが子も

 二十年以上も、登校拒否の相談を受けてきたが、わが子は、登校拒否になることはなく、小学校、中学校、高校、大学と順調に進み、自分の子の問題として悩んだことはなかった。それが、長男が大学に入ってしばらくしてから少々おかしくなり始めてしまった。

 長野県から上京し、一人暮らしをして大学に通い始めたが、だんだん一人で部屋で寝ているようになり、授業にも出席しなくなってしまった。いったいどうしたことかと長男に聞いても、ほとんど何も答えが返ってこない。「何を勉強したらいいのかわからない。目的が見つからないので大学に行って勉強する気がしない」というようなことをポツリポツリと話すだけで年月が過ぎていった。まあこういう時期もあるだろうと、のんびり見守っていたが、留年を一年、二年、三年と繰り返し、とうとう親元に大学から退学通知が送られてきてしまった。

 そこであわてて長男に電話をいれたが、まったく応答がない。それから一週間、朝に夜に繰り返し電話をするが返事がない。「まさか、ショックで自殺したのではないだろうか?」「わたしの育て方のどこが悪かったのだろうか?」「これからどうしていくのだろうか?」など、心配と不安で心が重い日々であった。

 大学の教員をしている兄に聞くと、卒業できないことを親に言えなくて、自殺する学生が毎年、数名いると言う。それを聞いてますます心配になって、長男の住む小さなアパートを訪ねていった。暗く締め切った部屋に、長男は一人ポツンと座っていた。とにかく生きていたので、一安心し、近くのレストランに連れて行って、おいしいものを食べさせてやった。

 「お父さんは、いま、ある雑誌に登校拒否のことを書いているので、これでおまえのことを題材に親の体験談が書けるよ」と言うと「僕のような例は、長い目で見て、よく確かめてから書いたほうがいいよ」とユーモアある答えが返ってきたので、これはまだ心にゆとりがありそうで、大丈夫かと思って長野に戻ってきた。

 しばらくして「これからどうするのか?」と聞くと、「退学になった大学をもう一度受け直して、一年生からやり直したい。今度は理学部ではなく哲学をしたい」という。それから半年ほどして、長男はまた同じ大学を受験し直して合格し、一年生となった。これで、またずいぶんお金がかかるなあと私がぼやくと、教会の友人が「そこには、神さまの特別な計画がある」と言ってくれたので、これも神の恵みとして受けとめられて感謝した。

 さて、こんなことがあって、むかし相談を受けたあるご婦人のことを思い起こした。「娘が大学の医学部の六年で登校拒否となり、家でぶらぶらしていて悲しい」という切実な相談であった。しかし私はその時に、「もう二十歳を過ぎて、いい大人なのだから、親がそれほど悲しがることはなかろう。心配のし過ぎではないか」と冷たくあしらってしまった。しかし、今度は同様に自分の長男が二十二歳にもなっているのに、「自殺をしまいか? どうなってしまうのか?」という自分の心の大きな揺れを体験して、「ああ、あの方にはほんとうに申し訳ないことをした」とつくづく感じた。医学部に入ったということで、本人も親も大きな喜びであったろう。まして六年間も学んだのだから、もったいないという気持ちも、とても大きなものであったろう。その親の期待の喪失感と、目的を失った子どもの姿を見るのはどれほどの苦しい思いであったかと、今になってようやくわかってきた。

 当事者の気持ちは、当事者でなければわからないとは、よく言われるが、二十年も経って当事者としての親の気持ちがようやく実感できた。順調なレールの上を走る人生から外れてしまったときには、子どもにも子どもの切ない気持ちがあるが、親にも親としての切ない思いがある。それをそのままに受けとめながら、しかしレールからはずれた人生にこそ「神さまの特別な愛と計画」が隠されていることを語る者でありたい。