国を愛する心と「愛国心」 立場の弱い人々を愛する国に…

中谷康子さん
中谷康子さんインタビュー
自衛官合祀拒否訴原告

自衛官であった夫を職務遂行中に亡くし、国家の英霊として護国神社に祀られたら、そしてそれがこの国を、世界を再び戦争へと導くものになったなら、どんなに辛いことだろう。山口県湯田温泉にすむ中谷康子さんは、自衛官として殉職した夫の合祀ごうし取り下げを求め、1973年から88年まで「自衛官合祀拒否訴訟」の原告として闘ってきた。一審、二審と勝訴したものの最高裁で逆転敗訴した。その判決から約15年たった今、中谷さんはどのように「愛国心」を考えているのだろうか。

●合祀を拒否された理由はなんですか。
1967年に夫が亡くなったことをきっかけに、まじめに教会に通うようになりました。ちょうど教会で靖国神社法案について学んでいました。その学びでは、小学六年生の時に迎えた敗戦や、過去の戦争は聖戦ではなかったことを思い返し、さらには、同級生に朝鮮出身者がいて私も差別していたこと、強制連行や侵略がもたらした彼女たち日本生活を思いだしました。そんなとき、山口県の護国神社への合祀の申し出があったのです。その時、「あ、これは同じ問題やな」と思いました。私としては、神社合祀で戦争賛美したように夫の死を利用されたくありませんでした。

●原告として立ち上がった時から、多くの脅迫状が届き、「非国民」ということばを投げつけられてきたそうですが、「非国民」と言われたときの気持ちを教えて下さい。
非国民と言われたことで、傷ついたことはなかったと言えばうそになりますが、何に対して忠実でなければ「非国民」なのでしょう。政府に対してなのか、天皇に対してなのか。脅迫状は教会で、合祀について学ぶためのテキストとなりました。キリスト者なのに、また戦争を支えた時代を生きてきた者として、これからの生き方を学ばされ、また自分の弱さを思い知らされていきました。

●日本の精神風土が変わらなければ、「ヤスクニ問題」は解決しないと言われますが、それはどういうことでしょうか。
日本人は、自分の信念に一貫性がないと思います。長いものに巻かれるといったように権力や慣習に流されていく。その精神風土が変わっていかなければこの問題は解決しないと思います。

●国を愛することは大切だと思いますか。
私も、国を愛しています。でも、どのような「国」を愛しているのかが問題だと思います。老人や障害者、また様々な弱い立場の人々を大切にする平和につながる「愛国心」もあるのではないかと思います。戦争は弱い者を排除するものでした。また、国の言うことを聞かない「困った者」を苦しめたりします。国が弱い立場の人々を含めて、国民を愛してくれれば、私たちは、そのような国に生きていることを感謝していきたいと思っているんですけどね。

*護国神社(招魂社) 明治維新前後から、国家のために殉難した人の霊を祀った神社。1866年各地の招魂場を改称。1939年さらに護国神社と改称。靖国神社も招魂社の一つであるが護国神社と改称しなかった。(『広辞苑』より)