四十路へのずっこけ恋愛道 教訓2 感情任せの“みこころ”は、ほぼ“おこころ”なので目を覚まそう。

松本望美
北朝鮮宣教会所属

 「こういう人と知り合ったんだけど、これって“みこころ”だと思う?」「会ったときから、心が揺すぶられて……聖霊による感動って言うのかな」「すごく主の導きを感じるんです」と、何人からも恋の話を聞いてきた。「う~ん、みこころかどうかは私にはわからないけど、結婚って人生でとても重要なことだし、召しだからさ、きっとバッチリわかると思うけどね?」としか答えられない。「いや、きっと“みこころ”だと思います」と確信を持って言う人が、意中の人と結婚したケースを見たことがない。

 恋に落ちちゃうと、完全に感情優先になってしまうから大変だ。かく言う私も、過去に何度かそんな台詞を口走っていたし。「私は彼のあばら骨に違いない。ビジョンも一緒だし」などとときめきながら祈っていても、しばらくして、神様の本当のみこころを目の当たりにすることになる。

 恋愛における“みこころ”っていう言葉ほど、ホーリーなようで実はあいまいな言葉ってない。多くの場合が、自分の“おこころ”になっちゃうことが多いので、よろしく。「福山雅治がまだ独身でいるのは、これからクリスチャンになって私と結婚するという神のみこころのためよ!」と私が言うのは、“おこころ”ってことですな。(余計?) 結婚したら夫婦における愛の形もあるだろうけど、恋愛期にもあせらず、相手を大切にしていきたいものだ。愛することって感情だけではないものね。けんかもするかもしれないけど、相手を理解し、励まして、信頼し合わないとね。そしてその関係に、神様が介入してくれるはず。

 ある日、「ねえ、Aさんってまだ独身だよね?」と女友だちの間で、ある男性の話題に花が咲いた。「もう四十代だよね」「結婚する気はあるみたいだよ。もしかしてこの中に彼の“みこころ”の人がいるのかも」と言うと「いや、私じゃない。示されてない」「え~? 私でもない」「私もちがうと思う。○ちゃん、祈ってみたら?」と口々に言い出したが、「きっと、Aさんにも、世界のどこかに“みこころ”の人が用意されているわよ」で終わった。

 そんな女性グループメンバーもAさんもいまだ独身。「Aさんにも、はやくいい人が与えられるといいのにねー」と他人事だ。しかしながら、きっとAさんがオタクチックでなく、さらに清潔感があったら、みんな口には出さずとも祈っていたにちがいない……。