不屈の女性が辿り着いたやすらぎの場所 NHK連ドラ「あさが来た」ヒロイン・あさのモデル広岡浅子。
決して諦めない「九転び十起き」の浅子。彼女が最後に大切にしたものとは?

 NHK連続ドラマ「あさが来た」のヒロイン・あさのモデル、広岡浅子。幕末から大正という、女性が社会の表舞台に出ることが極めて稀だった時代をどのように切り拓いていったのでしょうか。そして、人生の最後にようやく辿り着いた安らぎの場所とはどこだったのでしょうか。本書を通して、浅子の人生に起こった奇跡を知る旅にでかけましょう。

■お転婆娘
浅子は、一八四九(嘉永二)年、京都・出水三井家の令嬢として生まれます。お稽古ごとは大嫌い。木登りや相撲をとるようなお転婆娘でした。男兄弟が読む漢籍などの本に興味を持ちますが、「女子に学問は必要なし」と親から読書を禁止されてしまいました。「なぜ女は男のすることをしてはいけないのか。男女は能力や度胸においては格別違いはありません」と後に当時の心境を語っています。

■女性実業家として
十七歳のとき、大阪の豪商である加島屋の次男・信五郎と結婚します。政略結婚であり、不満を感じながらスタートした結婚生活でした。夫は道楽好きでのんびりや。しかし、旧習にとらわれない夫の人柄が幸いし、型にはまらない自由な生き方が許されました。ずっと願っていた勉強をすることができたのです。
明治維新で加島屋は諸藩への膨大な賃金が取り立て不能となり、ほとんど返済されませんでした。結婚してから寝る間も惜しんで簿記や算術、商売に関するあらゆる勉強をしてきた浅子です。自分が勉強をしていたのはこのときのためと、夫の代わりに経営の最前線に出ます。交渉が難しい取引先に出向き、相手が話しをしてくれず、浅子を退散させるために使用人が寝起きする部屋に通したことも。浅子は負けじとその部屋に一泊し、相手はさすがに根負けして、要求をのんだのです。
炭鉱事業にも進出します。当時女性が炭鉱に入るなど考えられないことでしたが、単身出かけていき、気性の荒い炭鉱夫と交渉したのです。「女が実業界で働いているのを見ることさえ、十分衝撃的であるのに、男さえほとんど試みていなかった鉱業に女が取り組むのを見て世間はわたしのことを正気ではないと思っていた」と浅子自身も述べています。さすがの浅子でも、内心は不安があったのでしょう。懐には常に護身用のピストルを忍ばせていたといいます。
この時代、困難が多かったようですが、自らの人生訓である「七転び八起き」より二つ多い「九転び十起き」の精神で乗り越えていきました。
そしてその後、加島銀行、さらには大同生命の設立に携わりました。

■女子教育への思い
また、幼い頃から男性にはあって、女性には与えられない「教育」への思いは、成瀬仁蔵という教育者との出会いによって急展開を見せます。なんと、日本初の女子高等教育機関・日本女子大学校(現在の日本女子大学)の設立に中心人物として関わるのです。この偉業は実業界に身を置いていた浅子の人脈や寄付金によるものが大きかったのです。

■キリスト教との出合い
そんな獅子奮迅の活躍をした浅子でしたが、六十歳、ちょうど還暦を迎えたとき、一大革命となる機会が訪れます。拳二つ分ほどの悪性腫瘍(乳がん)のため手術を受けることになったのです。浅子はこのとき万が一を覚悟し、内外の仕事を整理します。
そうして受けた手術から目覚めたとき自分の命は天が何かをせよといって、貸したものではないかと思ったのです。
その年の暮れ、大阪府の知事宅に成瀬と呼ばれたとき、そこには大阪基督教会の宮川経輝牧師がいました。成瀬と論議になり、困った成瀬が宮川に「このばあさんを教育してくれ」と言います。それほど、浅子は言いたいことをずばずばと言う人物であったのでしょう。
後日浅子のもとを訪れた宮川は、宗教について何も知らないならば、謙遜な生徒となり、学ぶようにと諭します。
誰にも甘えず、自分の力でなしてきたという大実業家としての自負心ゆえに宮川の問いかけを否定しても不思議ではありません。しかし、浅子は女性の進歩を願うならば、他に求めず、自らが先に修養しなければならないと宮川の教えを請うようになりました。宮川の教え、いや聖書の教えに、浅子はわが身の傲慢なことに気づき、今までの生涯が恥ずかしくも馬鹿らしくも思われたのです。
その後、救世軍の山室軍平との出会いもありました。山室に勧められ、軽井沢の静寂な地で聖書と信仰書のみを読み、ひたすら祈る中で、号泣し、神の存在を確信するに至ります。神の臨在に触れて涙し、走り続けてきた生涯でやっと魂の休息を得たのです。

■キリスト者として
信仰を持ってからの浅子は、ただひたすらキリストの福音を伝えるために、執筆活動、講演活動を行います。大阪YWCAの創立準備委員長としても活躍しました。
何度も転んで、起き上がってきた浅子。最後に起き上がった場所は神の御手の中でした。誰にも頼らず、自分で生きてきたと信じていた浅子が神に生かされていたのだと気づいた瞬間だったのかもしれません。
現代に生きる私たちは浅子の生涯から何が学べるでしょうか。諦めない不屈の精神でしょうか。それとも、自分の力でつかんできたと思っていたすべてが神から与えられ、自分が生かされている存在だと知ることかもしれません。『浅子と旅する。』を読みながら、あなたも自分の人生を振り返ってみてはいかがでしょうか。(いのちのことば社フォレストブックス、宮田真実子)