三浦光世を語る 『青春の傷痕』さわり読み

『青春の傷痕』

 その日、私はなぜか、一人で雪道を歩いていた。学校からの帰途であった。いつもは友達と一緒に帰っていたのだが、何か買って帰るようにでも祖父に言われて、店に寄ったのでもあろうか。そのうちに、後ろから一台の馬橇が来て、私はそのあとに従いて歩くことになった。畳二枚もの広さの荷台を置いた馬橇だった。荷台の上には稲藁がかなり積まれていて、その稲藁に腰を下ろし、手綱を取っていたのは、村の若者だった。

 私は、「乗ってもいいぞ」とでも言われることを、密かに期待していたのかも知れない。けれども、およそそんな期待とは逆に、彼はむごい言葉を投げつけてきた。

 「お前のオッカァ、お前たち子供らば親に預けっぱなしにして、一人で街さ行って、いったい何をしてるのよ!」 まさに脳天を一撃された思いだった。私はもはや、馬橇のあとを従いて行くことはできなかった。

 いったい、その若者に、私はいつ顔を覚えられていたのだろう。彼の家は、私の預けられていた宍戸の家からかなり離れていた。少なくとも三キロは離れていたはずである。それほど度々会っていたとは考えられない。あるいは私の唇に傷の痕があるのを、覚えていたのであろうか。

  私は、小学校に入る前、唇に怪我をした。その傷痕が残っていた。今になるまで、それは消えていない。考えてみると、このことも私は感謝しなければならない。

 「常に喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝せよ」
とは、新約聖書テサロニケ第一・五章一六~一八節の言葉である。私にこの傷の痕がなかったならば、もっと悪いことをしていたかもしれない。(五十二、三頁より)