ブック・レビュー 21世紀ブックレット28
『キリスト者の時代精神、その虚と実』

21世紀ブックレット28『キリスト者の時代精神、その虚と実』
登家勝也
日本キリスト教会 横浜長老教会牧師

日本キリスト教史の別の解釈を迫る

 歴史家渡辺は自己の回想で殉教の地長崎の歴史、そして殉教者の歴史に難なく聞き手を導き入れる。思えば日本の教会は殉教問題から身をひいて、この国の権力の残酷低劣な迫害が民衆の心に深く刻んだトラウマを癒さず、殺し虐げた権力の犯罪を不問に付してきた。宗教改革が功績の教理とともに、殉教者崇拝を捨てたものを、やがて妥協の合理化となり、今では神支配に逆らう権力への抵抗の証しの動機を欠く。殉教の復位を唱くゆえんである。

 岩崎氏はまず近世カトリックの生態を詳述する。滅多にない読書益である。万国公法の波に乗って到着した宣教。日本人の識字率の高さに応じた精力的な文書活動だが、恐ろしいまでに聖書は無視。日本人の自尊心を砕くための高圧的な態度は成程万国公法的である。これと殉教者の関係を考えようとすると気の毒の思いに打たれる。アジア太平洋戦争後、被爆者永井陸は被爆キリシタンへのすさまじい日本人一般の差別侮蔑に今なおキリシタン迫害の国日本を見る。この苦境で、日本人の多数のため選ばれて被爆の使命を負った者として自他を慰めた結果、天皇の戦争責任と米国の非道を免責、批判に囲まれる。だが、この批判も所詮、以前からの信仰迫害の同一文脈上にある。

 次に岩崎氏は新渡戸稲造と矢内原忠雄を語る。評判と裏腹に新渡戸は宗教への低い評価と適当な利用感覚とで、この国の知識人一般と官僚の典型。「武士道」も朝鮮侵略の弁解の文。矢内原は新渡戸より批判的で体制内改革を志した植民政策学者。自己のキリスト教道徳の尺度で植民政策を批判し戦争に反対した点、敬意を惜しむべきではないが、万世一系の国体、擁護者として例えば朝鮮に同情しながら独立の希望には冷淡。師内村、先輩新渡戸と彼を結ぶ「旧約の日本」の虚妄のためか。

 山口牧師は唯一人尊敬すべき牧師の存在を教える。佛僧からキリスト者に転換、一八九二年の奥村事件の収拾に抗議して熊本洋学校を辞した後は安中教会牧師として権力に対峙し非戦を貫いた柏木義円その人である。「政治に君主〔天皇〕は至高といえど学問倫理上の主義に断定のごとき越権なり」。

 どの筆者も日本キリスト教史の別な解釈を迫る。