ブック・レビュー 死への準備を万端整えて 天に召された元牧師の体験記

 『自分の死を看取る』
加藤 尚宏
クアラルンプール日本語キリスト者集会(KLJCF)牧師

「おや?」と、もう一度題名を確かめたくなる本である。「ご臨終です」と死の宣告をするのは医師であり、ご遺体を丁重に見繕いするのは、映画「おくりびと」に出てくる納棺師である。自分の死を自分で看取るとはどういうことなのか? 読み終わって初めて、新しい地平を見るような思いで納得させてくれる本である。
人間である以上、死は必ず訪れる。その死に対して、私たちは十分な準備をしているだろうか? 故近藤先生の場合、その死は突然訪れたが、見事なほどに自分の死に対して十分な準備をされており、自分で自分の死を看取ったと言える死に方であった。
先生がマレーシアに来られたのは、「百歳までに百冊の本を書く」という夢を実現するためであった。一時帰国中の東京で天に召されたため、訃報を受けて私も急遽、東京・築地の聖路加教会で行われた葬儀に参列させていただいた。そこで流れたのが、先生が生前に収録した「お別れのことば」であった。すでに息を引き取った先生の声を葬儀で聞くのは、感動的である。パイプオルガンから流れる音楽は、バッハの「トッカータとフーガ」だった。自分の告別式はすべて自分でプロデュースする、とこの本の中で書いておられる通りの葬儀だった。
四十歳までバプテスト教会の牧師だった先生は、人生後半の四十二年間をサイコセラピストとして過ごすが、この間に出会ったさまざまな人との出会いのエピソードがあちこちに織り込まれており、そこに引用されているみことばがきらりと光っている。後で分かったことだが、マレーシアに来られるまでに九十七冊の本を出版され、残る三冊は、マレーシアで書かれていたので、この本は遺稿でもあり、著者の夢は八十二歳で実現されたことになる。
分かりやすい文体に、分かりやすい表現、ついつい引き込まれて、一気に読み通せる本である。この「いのちのことば」誌にも、「自分の生と死を看取る生き方」と題して全六回の連載を書かれたのは記憶に新しい。