ブック・レビュー 多くの人の心を打たずにおかない作品


森下辰衛
三浦綾子記念文学館 特別研究員

言語作品を映像化することの難しさはどこにあるだろう。物語の表層の文脈の意味を理解し、主題や作家の意図がわかること。物語構成と各部分の必要度を理解して、取り上げる部分や作画する場面をバランスよく選ぶこと。そして、描く一つ一つのものの研究も必要だ。例えば「連結がはずれて客車が暴走した」と文章では簡単に書けるかもしれないが、どんな機関車で連結装置はどんな形のものだったのか、客車の屋根や窓やデッキ、ハンドブレーキの形状、それを横から見たとき、上からのアングルにしたらどうなるのか。気が遠くなるような研究調査が必要なのだ。
さらに大事なのは、人物の描き方だ。ふじ子はどのような可憐さを持っていたのか。少女時代は、大きくなってからは、病床のときは、回復してきたとき、信夫の死を知ったとき、塩狩峠の事故現場を訪れたときは? このヒロインを描き損ねれば、物語は台なしになる。すでに多くの人に読まれた作品であれば、陳腐さや違和感を与えるかも知れない。読者が違和感なく、「思った以上!」「そうだったのか!」と何かを発見してくれるようなものであってほしいと願うだろう。しかし、作家が語りたかったことへの真摯な敬意をもって、作家が思い描いていたであろう物語映像を訪ね求める作業は途方もない仕事である。
この漫画は原作に非常に忠実である。そこに作画者の真摯さと信仰と三浦綾子への尊敬を感じる。人口に膾炙した偉大な作品を別の形に移すとき、まっすぐ忠実であることが一番難しいのではないだろうか。まっすぐであろうとすれば、真価がためされてしまうのだ。原作に忠実なこの漫画の中で、原作を超出している場面があった。それは、信夫が決意して線路に身を投げ出す場面だ。そこに、画家は一粒の麦の絵を描いた。そこに、私は、画家の心を見た。
塩狩峠記念館で行われた出版記念の集いで、のだますみさんは、この仕事をして、「いのちを削って描く」ということが分かったと語った。彼女もまた、一粒の麦として、身を投げ出してこの仕事をしたのだと思った。これは、多くの人の心を打たずにおかない作品になるだろう。