ブック・レビュー 他者の犠牲の上に成り立つ力を
キリスト者としてどうとらえるか

 『キリスト者として“原発”をどう考えるか  』
鈴木伶子
日本YWCA理事長

原発問題の講師として人気のある内藤新吾牧師の本が、家で読めることはうれしいことです。
著者は、近い将来、確実に起こるといわれる東海地震震源域の真上に立つ浜岡原子力発電所の地元で牧会をしてこられました。その経験から、原発がいかに人間のいのちを痛めつけるものかを分かりやすく、しかも説得力をもって述べられており、原発問題の勉強にも良い本です。しかしこの本の真価は、書名にあるように『キリスト者として“原発”をどう考えるか』という点にあります。
原発の危険性が社会で公然と語られていますが、教会がその問題を正面から取り上げることが少ないのが現状です。その理由として、教会は社会の問題に触れないことや、いろいろな立場の教会員への配慮などがあげられます。
著者は、名古屋で牧会していたときに、原発労働者と出会い、使い捨てのぼろ雑巾のように働かされた経験を聞きました。また、原発が貧しい僻地に建設され、差別構造の上に稼動し、かけがえのないいのちを犠牲にしていることを知りました。それが、著者のキリスト者としての脱原発運動の始まりでした。
なぜなら、イエス・キリストは、ご自分のいのちをかけて愛されたすべての人々のいのちを守るようにと私たちに託されており、それゆえ、人が苦しめられ、そのいのちが犠牲にされるのを座視することは神のみこころに反することだからです。
原発は、他の人の苦しみを無視して、自分の力・富・快適な生活などを求めた罪の産物です。今回の原発事故のような残酷な出来事を神は望まれません。神はそこで傷つき倒れている人と共におられます。その人に課された不当な仕打ち、理不尽な苦しみに対して、神も共に憤りを覚えておられるのです。そして神は、私たちにも、そのように生き、そのように働くことを期待しておられます。
この本は原発問題にとどまらず、私たちがイエス・キリストに従って生きることの意味を深く考えさせる好著です。