ブック・レビュー 『聖餐の聖書的な理解を求めて』

『聖餐の聖書的な理解を求めて』
横山幹雄
聖書教会連盟 内灘聖書教会牧師

聖餐にこめられた豊かなメッセージに圧倒される

 礼拝の民として召されたキリスト者にとって、その礼拝の質を高め、深めることは、最重要の課題である。「わたしたちは知って礼拝しています」(ヨハネ四章二十二節)のみことば通りに、霊とまことによる礼拝は、神を知り、自らを知り、その礼拝のひとつひとつの行為にこめられている意味を知らねばならない。私たちもサマリヤ人のごとくに、いかに知らないまま、形式的、表面的な礼拝に流されていることだろうか。

 このたび聖書神学舎教師会編によって、聖餐式について実に貴重な講義集が発行された。先に出された『礼拝の聖書的な理解を求めて』にも、大いに啓発され、生けるまことの神のみ前に引き出される思いで読んだ。今回は、聖餐式に関するさまざまな課題とともに、その裏づけとなる旧約、新約の言及が実に深く、広く取り上げられている。

 私自身、牧師として礼拝を導き、聖餐式の司式をしながら、自分自身が常に震えるような恐れと感動をもってそれをなしたいと願いつつ、自らの深みのなさ、形式に流れ、マンネリに陥りがちであることを覚えさせられていた。

 この講義集を紐解き、引用聖書箇所を確かめつつ、聖餐式に込められている驚くほどの神のご計画の豊かさに圧倒されている。聖餐式が制定された最後の晩餐の席に自ら着き、そこにいる弟子のひとりに自らを重ね合わせるように想像を膨らませると、いかに豊かなメッセージがこの聖餐式にこめられているかを感じる。そうした豊かさを、この講義集はていねいに掘り起こしてくれている。

 これを全国の牧師たちにまず推薦したい。豊かな礼拝、質の高い礼拝、感動に満ちた礼拝をささげることこそ、信徒を高め、人々を引き寄せる力がある。牧師自身が日々、さらに高い質の礼拝者として整えられることが求められている。