ブック・レビュー 『日本開国とプロテスタント宣教150年』

『日本開国とプロテスタント宣教150年』
原田 憲夫
第五回日本伝道会議実行委員長/横浜緑園キリスト教会牧師

幅広い味をそろえた極上の一冊

 本書は、今年九月に札幌で開催された第五回日本伝道会議「危機の時代における宣教協力 ─ もっと広く、もっと深く ─ 」のプロジェクトの中の一つ、「プロテスタント宣教一五〇年班」が取り組んだ結実である。

 まず目次を見て、その多彩でユニークなメニューに「おぉ!」と驚かされる。そして「宣教一五〇年」を「鍵」に次から次へと読み始めると、日本プロテスタント宣教史(山口陽一)、日本プロテスタント伝道史(近藤勝彦、小野静雄、工藤弘雄)、福音派の─戦後史(中村敏)、─神学史(内田和彦)、─世界宣教史(正木牧人)、キリスト教教育史(湊晶子)、この国と神の国をめぐる問題:アイヌの人々(八尋勝)、沖縄(饒平名長秀)、日韓伝道(趙南洙)、台湾伝道(蘇慶輝)、信教自由(上中栄)、国民教会(鈴木範久)等々(順不同)。これだけの幅広い味をそろえた「料理」に「これはすごいぞ!」と嬉しくなってくる。

 この料理を食する上で「本の題」にスパイス(私見)を振ってお勧めする。
  1. プロテスタント「日本」伝道史という視座からは、一八五九年(宣教師の入国)ではなく、一八四六年(ベッテルハイムの琉球伝道)を起算年にするという提言に従えば、日本伝道史を新たに書き改めなければならない。
  2. 「近代日本の幕開け」としての「開国」の視座からは、ゆがんだ「富国策」(「和魂洋才」)を通じて醸成された「この国のかたち」が見え隠れする。その他方で「近代日本」を動かし支えたはずのキリスト教教育の中枢である「神学部」は今どこへ行ったのだろうか。
  3. 「鎖国を解いた開国」という視座からは、もう一つ別の面が見えてくる。すなわち、「鎖国」の原因となった邪宗門である「キリシタン」を国内外ともに歴史の表舞台にもちだしたからだ。「開国」は宣教師の入国、および「禁教高札」撤去という「自由と解放」をもたらした。「プロテスタント宣教一五〇年」は、「キリシタン」(の血)につながっていることを肝に銘じるべきである。そして、「この国」の「鎖国性」が決して消滅していないことも。