ブック・レビュー 『ダーウィン・メガネをはずしてみたら』

『ダーウィン・メガネをはずしてみたら』
関根 一夫
ミッションエイド・クリスチャン・フェローシップ 牧師

生きる意味を見いだした生物学者の証し

 安藤和子博士は本書で淡々と自らの思想的な遍歴を語っておられます。そこにあるのは、生物学者の冷静な分析と、実に正直な自分への問いかけです。

 進化という言葉について「悠久の時間……偶然に、原子が分子に、無機物から有機物に、簡単なものから複雑なものになり、やがて生命が自然発生し、アメーバーのような単細胞から、順番に弱者は滅び、高等な生物が生き残って、ついに人にまでなった。そして、今も人からさらに高等な生物に進化し続けていると考える、『思想体系』なのである」(五九頁)とし、そして「いのちが偶然に誕生したという進化仮説の土台に立った人生観が出来上がっていたとするなら、自分のいのちも、他の進化の過程にある生物同様、偶然に生まれ、そして、進化の流れに沿って消えていくということになるだろう。計画も、目的もなく、ただ偶然生まれたという生命観に立って自分の人生を見つめるなら、人はどう生きていけばいいのかわからなくなってしまう」(八七頁)と言い切ります。

 進化仮説による精神的な影響を受けてきた日本人の人生に対するひ弱さや諦観にも似たよそよそしさがどうしてそんなに根強いのか、わかるような気がします。

 しかし、安藤博士は聖書の中に、「生きる目的」「生きる希望」を見いだしました。しかも、聖書の教えと科学とは、決して矛盾しているものではないといううなずきもしっかりお持ちです。「聖書は自然科学研究の百年も千年も先を歩いており、先導している」(五四頁)とも語られています。

 知らず知らずに私たちの頭に構築された進化仮説、それを土台にした人生論の危うさを考え、本当に幸せな人間らしい生き方とは何なのか、ダーウィンのメガネをはずした安藤博士がていねいに教えてくださっています。

 「いのちへの畏敬」、さらには「生きる意味」について考えたいと思っている方に心からお奨めします。