ブック・レビュー 「皇国」と「御国」


山口陽一
東京基督教大学大学院教授

「こんな歌、歌うのやめましょう」。
そう言って奏楽者の女性はオルガンを離れてしまった。奏楽拒否である。このようなことは三十年近く牧師をしていて、この一度きりである。
一九九六年の八月三日、教会で行っていた「平和のための読書会」で、戦時下の教会のある文書を読む前に、『興亜讃美歌』の中から試しに一曲、歌ってみた時のことである。それはこんな歌詞だった。
光榮ある 皇國にうまれ
すめらぎに まつらふわれら
日日のわざ はげむこころは
あまつかみこそ 知ろしめすらめ(四番「臣道實踐」一節)
私は、「心を込めずに歌いましょう」と言って歌い始めたのであるが、それでも最後まで歌えないような讃美歌を日本基督教団讃美歌委員会は作ったのである。
『賛美歌に見られる天皇制用語』(二〇一〇年)に続く石丸新先生の新著『戦時下の教会が生んだ讃美歌』の後半「戦時下賛美歌集の闇」では、賛美歌ならぬ「翼賛歌」トリオ、『興亜讃美歌』(一九四三年六月)、『少年興亜讃美歌』(一九四三年十一月)、『日曜学校讃美歌』(一九四四年三月)を初めて全体としてわかりやすく紹介する。闇から照らし出される歌詞には目を覆いたくなる。「醜の仇 撃ちてし止まむ 皇国われら 燃ゆるひとつの 弾丸となりつつ」「春風吹けば いさぎよく 散るぞめでたき 桜ばな 皇国のために 散るべくは 桜のごとく いさぎよく 散りて薫らん 皇民われ」。そこでは「アジヤを興すという帝国日本の国策が神の国建設という教会の務めと一体化され」、「皇国」と「御国」は区別がつかない(一一五頁)。
明治十二年に文部省が設置した音楽取調掛は、「音楽は純粋に『芸術』のためではなく、国民の身体や精神を作り上げてゆくためのツールである」(三六頁)としていた。そこで、本書前半の「戦争と讃美歌・唱歌・童謡」では、時代をさかのぼり、広くさまざまな歌が、やがての「翼賛歌」を準備した課程を説き明かしている。