クリスチャンホームと教会 教会と牧師に支えられて

神津喜代子
『クリスチャンでない夫をもつ女性たちへ』著者/大野キリスト教会 主事

 このたび、教職でありながらクリスチャンでない夫をもつ私が、自分自身の葛藤を赤裸々に綴った『クリスチャンでない夫をもつ女性たちへ』という本が出版されることになりました。この本を出版するという決意ができたのは、私をありのまま受けてくれている教会と牧師への信頼があったからです。

妻たちの痛みを知り

 私は二十七年前、突然イエス・キリストに出会ってクリスチャンになりました。それから四半世紀、いまだに私の夫はクリスチャンではありません。自分を正当化し、無理解なのは夫なのだと自分に言い聞かせていました。家庭は冷え込み、夫婦の会話がまったくない日が続きました。

 しかし、神様は、教会では笑顔をふりまく偽善的な私を、長く放ってはおかれませんでした。夫との関係が冷え切った時、私の信仰も健康も弱ってしまったからです。教会にも家庭にも居場所を失い、私は初めて、クリスチャンでない夫をもつ女性たちの痛みや悲しみを自分の痛みとして知ることができたのかもしれません。

 見渡すと、多くの妻たちは、クリスチャンでない夫との間で疲れ、痛んでいました。しかし、そんな弱さを教会の中で語り合うことはほとんどないようでした。弱さや痛みを語るには、教会はあまりに楽しく、あたたかく、にぎやかなのかもしれません。

 私はけっして弱さを口にしない人間でした。けれども、このままでは偽善的な生き方になってしまう、その危機感は私にひとつの決意をさせました。それはクリスチャンでない夫をもった私の痛みと悔い改めを告白するということでした。

 私の所属している大野キリスト教会が、初穂のクリスチャンを励まし続け、家族の救いを一緒に祈り、サポートし続けるという息の長い働きに取り組んでくださっていることを感謝しています。そして、今回取材や情報集めをしていく中で、多くの教会が家族の救いに本腰を入れて祈り、さまざまな支援をしていることも知りました。

 だれもが教会につながり、教会で支え合わなければ、信仰は育たないというのが私の結論です。

教会にくる夫たち

 大野キリスト教会ではクリスチャンでない夫たちが、教会に足を運んでくれるように、いくつかの取り組みをしています。その動機となっているのは、先に救われた夫たちが、クリスチャンになる前の自分自身と重ね合わせながら、仲間を何とかして救いに導きたいという友情です。クリスチャンでない夫たちは、妻の誘いはかたくなに拒んでも、顔見知りの男性に誘われると、不思議と抵抗なく顔を出すのです。

 そのひとつに、囲碁クラブがあります。私の夫も予定をカレンダーに書きこんで楽しみにしています。夫以外はクリスチャン。会場は教会。集会は月三回程度。午後の二時間から三時間ほど。時々牧師も顔を出し、なごやかに集っています。適当に対戦相手を見つけて、お茶の当番も自然に決まっているようです。

 また、クリスマスには、男性たちの招待によるカップルズ・ディナーをしています。それは男性の手料理で、クリスチャンでない夫たちをもてなそうとする試みです。夫婦同伴が原則で、クリスチャンの妻と共に出席することになります。教会のホールを飾りつけ、手料理を盛りつけ、牧師はわかりやすいクリスマスメッセージに心を配り、男性たちは精一杯の歓迎をこめて迎えてくれます。私の夫もこのあたたかい集会を経て礼拝へと導かれました。昨年で十回目を迎えています。

福音を家庭・地域に根付かせ

 私は、あらためて、家族の救い、この大きなテーマに取り組んでくださっているすべての教会に感謝したいと思います。夫の無理解や無関心で孤立している女性たちが、教会のさりげないやさしさや励ましで、信仰の本質と輝きをしっかり身につけ、じっくりと時を待つ勇気と忍耐を持つことができるならば、必ず、平和の福音がその家庭に訪れることでしょう。

 信仰は個人の霊的財産だけで終わってはなりません。福音は広がり、根付き、どんな人々にも真の平和と潤いを与えることができるからです。

 そして、教会の働きは、福音を知らせ、家庭に地域にその福音を根付かせることです。私は、女性たちが家族の中で先に救われたすばらしい特権をむしろ謳歌して、イエス・キリストに愛されている自信をしっかりともって生き生きと信仰生活を歩んでほしいと心から願っています。本書を、教会の牧師、クリスチャンホームの方々にも読んでいただき、さらなる教会の働きが広がることを願っています。