ウツと上手につき合うには 新連載 第1回 明るいウツのすすめ

斎藤登志子

この原稿を書いている今、季節は秋です。スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋と、さまざまな趣味に打ち込める季節という方は多いでしょうが、私にとっては心が重くなっていくときです。

冬季ウツが襲ってくるからです。

ウツ状態に陥ると世界は色を失ってモノトーンになり、あらゆる活動が色あせて見えます。好きだったことにも興味が持てず、何をするのも億劫になります。テレビや新聞を見ても暗いニュースだけが心に引っかかり、しなければならないことのリストが自分を責めたて、それのできない自分にいらだち、深く落ち込みます。ついには起きているのもつらくなって寝込んでしまう……これがウツというものです。

早いもので、私がうつ病になってから二十年が経ちました。入院も経験しましたし、薬は今も一日も欠かさずのみ続けています。私だけでなく、周りのうつ病患者もみな、似たような生活を送っています。そう考えると、やはりうつ病は治りにくい病気なのでしょう。けれども、心がけ次第では年中ウツウツしていなくても、そこそこ明るく過ごすことができると私は思っています。

初回から希望を失わせるようなことを書いて申し訳ないですが、明るくウツを生きようと思うなら、あまり早く治そうと思わないことです。言葉を変えれば、
「この病気は長くかかるぞ。それなら病気をうまく手なづけて病気と仲良くやっていこう」
という、いい意味での開き直りも必要なのです。

一度は治療終了と言われた私ですが、ウツを引き起こすような出来事は何も思い当たらなかったのに、わずか半年で再発しました。そのときに私は、この病気は墓場まで持っていくのだと腹をくくったわけです。

いい意味で開き直る、早く治そうとあせらないということは、ウツを受け入れるということだと思います。それには医者の言うことをよく聞いて薬をきちんとのむことも含まれます。

クリスチャンの人は特に、信仰と病気を混同しないように気をつけましょう。心の病気というと、何か気持ちの持ちようで、あるいは信仰の姿勢しだいで何とかなると思いがちですが、間違っても「信仰で治しましょう」などと言って薬を取り上げたりしないように。

それでなくとも病気が治るようにと祈っていない患者はいないわけで、それにもかかわらず治らないことで本人も苦しんでいるのです。それを「信仰が足りない」だの「隠された罪がある」だのと責めたてられては良くなる病気も悪くなってしまいます。

 病は気からというけれど

病は気からというけれど、心の病気はちがいます。
少なくとも気の持ちようで治るほど簡単な病気ではありません。

体のはたらきも複雑にかかわっていて
心のはたらきに影響を与えているのです。

だから責めないでください。
なまけているのではないのです。
だから励まさないでください。
意志が弱いのではないのです。

心の病気も立派な病気です。
病院に連れて行って、ちゃんと薬を飲ませてあげてください。
ゆっくり休ませてください。

けがをした人や手術を受けた人と同じようにいたわってください。
やさしく接してください。

心の病気も立派な病気です。
ほかの病気と同じように
薬が効いてくれば、だんだんよくなります。

だから気やすく励まさないでください。
よくなるまで、だまって見守っていてください。

(『傷つきやすいあなたへ』木村藍 著、文芸社より)

患者の家族や援助をする人に必要なのは「あたたかい無関心」だと言われています。患者だけでなく、家族や周囲の人もウツを受け入れて、突き放すのではなく、かといって過度に干渉するのでもなく、あたたかく見守っていただきたいと思います。

 

ウツと上手につき合うには 第2回 「いい人」の落とし穴