わが父の家には住処(すみか)おほし
北九州・絆の創造の現場から 第9回 テントの中で

奥田 知志
日本バプテスト連盟 東八幡キリスト教会 牧師、NPO法人 北九州ホームレス支援機構理事長/代表

 二十二年間で炊き出しが中止になったのは一度だけ。台風の直撃を受け中止した。しかし、その時でさえ暴風雨の中、野宿の方々のところを回り中止を告げ回らねばならなかった。電話もメールも一切の連絡方法がない。野宿になるとはそういうことなのだ。これまでに約七百回の炊き出しで十五万食を配布してきた。昨年夏の炊き出しの折、突然の雷雨に見舞われた。まさにゲリラ豪雨。バケツをひっくり返したような雨が三十分間降り続き、稲妻が走り、雷鳴が轟いた。その場にいた全員が震え上がった。現場には逃げ場がない。唯一の逃げ場である炊き出し用のテントに全員が駆け込んだ。テントの中はすし詰め状態。野宿者、スタッフ、炊き出し教会のメンバー、ボランティア、学生など百名以上がひしめき合うようにして雨から逃れ避難した。僕もその中にいた。ただ、その様子がなんともユーモラスで微笑ましく僕には見えた。炊き出しに何度も来ているボランティアでも、あれだけ身近に野宿者の存在を確かめたことはなかっただろう。まさに押しくらまんじゅう状態。炊き出しの弁当の匂い、風呂に入れぬ人々の匂い、汗臭さ、香水の匂いなどあらゆる「におい」が混在していた。それは人間の「におい」だった。雨は全員に降り注ぎ、全員をびしょ濡れにした。雷が全員を震え上がらせた。そこには何の差別もなかった。テントの屋根には「あんたもわしもおんなじいのち」と大きく書かれている。支援者と当事者という垣根を洗い流すように雨は降り続いた。支援者と当事者の間の「垣根」については常々考えさせられてきた。初期の頃、持参したおにぎりと豚汁をおやじさんたちと一緒に食べていた。今となっては懐かしい。野宿者が急増する中、いつの間にか「配る側」と「配られる側」が机を挟んで向かい合うようになった。支援する側、される側―そんな構図が出来上がっていった。確かに向かい合うことも必要で時には厳しく対峙しなければならない。だけど、それだけではダメなことも承知している。あの雨は今一度僕にそのことを問うてくれた。野宿者は常に社会的排除の対象とされてきた。支援現場でさえ「おんなじ」とはなかなかいかない。しかし、何が違うというのか。イエスは言う。「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか」(マタイによる福音書七章一~四節、新共同訳)。以前は「ちり」と「梁」となっていたところが新しい訳では「おが屑」と「丸太」と訳された。問題は「ちりと梁」という大きさだけではなかったのだ。「おが屑」も「丸太」もどちらも「木」である。そうなのだ。両者には同質の問題が存在している。しかも「裁こうとする」自分が抱えている問題の方が相手よりも大きいとなれば問題は深刻だ。「おんなじ」なのは「いのち」だけではない。「罪」や「弱さ」を同じく抱えた人間同士。私たちは同じく十字架を負う人間なのだ。「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」(マタイの福音書五章四五節、口語訳)。正しい者が誰かは僕には分からない。しかし、大切なのは神様が僕らにおなじく太陽を昇らせ雨を降らせ給うということ。それを忘れてはなるまい。どしゃ降りの空を見上げてテントの中の全員がこうつぶやいた。「早く止まんかなあ」。雨から解放されることを全員が待っていた。全員が何かを待ち望んでいたのだ。思いが一つとなったとき雨は小降りとなり、やがて止んだ。三十分遅れで炊き出しが始まった。机が置かれ、いつもの風景へ。垣根は再びつくられた。しかし、僕はこの夜の光景を忘れない。野宿者も、ボランティアも解放されなければならないおんなじ人間なのだ。「神の国が来ますように」。テントの中で、天を見上げたすべての人がそう祈っているようだった。そんなふうに僕には思えた。