わかりやすい終末論 後半

山口昇
日本神の教会連盟・玉川神の教会主任牧師、アレセイヤ研究所所長

 

ヨハネの黙示録の終末論

終末を論じる時に忘れてならないのは、「ヨハネの黙示録」です。この書は使徒ヨハネがパトモスの島に流刑になった時に、幻によって終わりの時に起こることが示されたことを書いたものです。四章と五章は天における父なる神と小羊に対する礼拝の幻、六章から一六章までは七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢の幻による終わりの時における苦難と試練、および一七・一八章のバビロンの滅亡の幻、一九章から二二章五節まではキリストの再臨、千年王国、死者の復活、最後の審判、新天新地などの幻が書かれています。

ここで注意しなければならないのは「黙示」ということです。黙示とは本来隠されているものの覆いが取り除かれて、現されることを意味し、特に、神の啓示が超自然的幻によって示されることを意味しています(詳しくは『新聖書注解 新約3』の筆者による「ヨハネの黙示録」の緒論「黙示録と黙示文学」の項参照。現在品切中なので、教会の図書などでご覧ください)。したがって、四章一節・二二章五節までは黙示的部分なので、それぞれの表象には象徴的意味があり、どのように解釈するか注意が必要です。

たとえば、七章四節の十四万四千人はイスラエルの十二部族から一万二千人ずつが印を押されているので、あまりにも規則的であり実数ととるのは不自然です。象徴的意味としては十二部族の十二と完全数である十二を掛け、さらに多数を示す千を掛けた数字として、非常に多い数を意味すると解することができます。また、一一章二節の四十二か月(=三年半)、一一章一一節の三日半は、すべて3.5で一致するので、実数ととるより、象徴的意味のある数字(完全数の七の半分で、不完全を表す)ととるほうがよいでしょう。一三章一八節にある六百六十六という数字の解釈で、ローマ皇帝ネロを指すという解釈がありますが、無理があります。それより六百六十六は各桁とも完全数である七より一足りないので、反キリストを表すと解釈するほうがよいと思います(筆者による上述の注解書参照)。

一三章一節の海から上ってきた十本の角と七つの頭を持った獣はこの世の権力の象徴と解釈されていますが、これはローマ帝国の象徴であり十本の角はEU加盟国が十か国になるとこの預言が成就され、終末が近づき中東情勢が不安定になり石油価格が上昇するなどと言って、証券会社の経済セミナーや、経済誌をにぎわしている人がいましたが、これなどは読み込みも甚だしい例です。結局はその予測は大きく外れ、ジャーナリズムもその人を見放してしまいました。ノストラダムスの大予言も一九九九年の八月に終末が来ると言って、世間を騒がせましたが、結局終末は来ませんでした。このように、黙示録を勝手に解釈して、終末が来るといううわさを立てて世間を騒がせるにせ預言者はいつの時代にもいるものですから、私たちも惑わされないように注意が必要です。

最後に二〇章四節の「彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった」ということばに基づくいわゆる「千年王国」の問題は、十分に論じる紙面がなくなってしまいましたので、詳細は『新キリスト教辞典』の「千年期」の項を参照してください。

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山口 昇氏
一九二八年、東京都に生まれる。
青山学院大学、東京神学塾卒業。
フラー神学校、イスラエル研究所にて研究。
聖書神学舎教師、共立女子聖書学院長、戸板女子短期大学非常勤講師、京都クリスチャンセンター顧問牧師など歴任。
現在、日本神の教会連盟・玉川神の教会主任牧師、アレセイヤ研究所所長、日本宣教を考える会主宰。 著書に、『マタイの福音書』(新聖書講解シリーズ、いのちのことば社)。
その他、聖書辞典、注解書など多数。