ずっこけ宣教道 第11回 脱北者篇

松本望美
北朝鮮宣教会所属

 先日、金さんから日本語で書かれたハガキがきた。

 「望美さん、手紙が遅れてすいません。ここソウルは雨が多く来たけれど、今は暑い日が続けています……。」 金さんは、元在日朝鮮人の60代の女性。1960年代後半に親と一緒に北朝鮮に帰国。その後、30数年後に脱北し、中国、東南アジアのジャングルを越え、去年、韓国へ入国した方だ。

 昭和34年ごろから始まった在日朝鮮人に対しての「帰還事業」では、北朝鮮側が「地上の楽園」と宣伝、日本政府が総費用を負担し、日本から約9万4千人の在日朝鮮人とその家族たち(うち日本人7千人)が北朝鮮へ渡った。

 その後脱北し、現在、韓国に移住した元・在日朝鮮人の方々と話してみれば、幼いころや青年期に住んでいた日本を非常に懐かしむ。

 60代の男性には、「千代子ちゃんは、今どうしてる?」と聞かれた。「千代子ちゃんって?」と聞き直すと、「千代子ちゃんっていえば、島倉千代子に決まっとるやろ?!」と驚かれるのだが、私の脳裏には“ちゃん付け”するのが難しい“人生いろいろ”を熱唱する姿が思い浮かぶ。

 また、「水原弘やフランク永井の歌で何が一番好き?」と聞かれたが、「誰ですか?」とか「有楽町の歌ですね?」としか答えられない。

 「バタヤンは最高だよ」と言われても、私が知っているバタヤンの発音に一番近いものは“パタヤビーチ”で、“バタヤン”とは誰なのか皆目見当もつかなかった。「美空ひばりの歌でも一緒に歌おう」と言われ「八代亜紀だったら歌えます!」と胸を張って答えたが、「誰、それ?」と返されてしまうのだ。


 先日、ソウルに行ったとき、12歳で熊本から北朝鮮に渡った方とお会いした。お土産のおせんべいを懐かしがり、「日本語を思い出すね」と言って、いろいろと話してくれた。「この歌を覚えてますよ」と言って歌い始めたのは「みかんの花咲く丘」という童謡。♪み~かんの花がさ~いている~……。私の知らない2番も歌っていた。「来年あたり、日本に行きたいわね~。熊本に帰ってみたいね~。」

 私が帰ると言うと名残惜しんで、最寄りの駅まで送ってくれ、途中何度も「今度、いつくるの? 必ず連絡してね」と言っていた。

 彼らの「生き地獄」だった北での生活を聞くたびに思わされるのは、日本で平和に育った私の薄っぺらい言葉は彼らには通用しないということ。人間的な言葉はお手上げ。だから、内なる方に導かれて、その時に彼らに必要な主の真理の言葉をいただいて、それを語っていく。

 そして、次に会うまでに、バタヤンの正体を知っておくことだ……。