しあわせな看取り
―果樹園の丘の訪問看護ステーションから 第8回 神様のホットライン(2)

岸本みくに
惠泉マリア訪問看護ステーション所長
札幌キリスト召団 余市教会員

大阪、堺市生まれ。
幼い時に父を交通事故で亡くし、母の、「手に職をつけ早く自立するように」との教育方針で、子どもは3人とも医療系に進んだ。卒後15年間大阪の淀川キリスト教病院に勤め、その後、地域医療や福祉、キリスト教の共同体などに関心を持ち、各地をうろうろ。2008年より現在の惠泉マリア訪問看護ステーションに勤務。現在同ステーション所長。北海道に住んで20年、大阪弁と北海道弁のバイリンガル。

いざという時を神様が教えてくださると前回書きましたが、それは従順を条件としています。
心不全で入退院を繰り返している方がいました。徐々に衰弱が進み、寝たきりになってきました。八十二歳の年齢でもあり、在宅での看取りも視野に入れて介護していったらどうですか、という主治医からの勧めもありましたが、ご家族はあくまでも入院による積極的な治療をご希望でした。でも、一応自宅で何かあった場合のことも打ち合わせました。そのうち介護している奥様がダウンしてしまいました。
息子さんはこれ以上の介護負担は難しいと判断し、療養型病院への入院の手続きをしました。その矢先のことでした。

     *

夜、入浴しようと準備していると息子さんから電話が入りました。
「夕食を食べさせたのですが、食べ物がのどのところに残っているのです。」
「呼吸はできていますか?」
「大丈夫です」
「では、指にガーゼを巻いて、口の中に残っている食べ物をかき出してください。上手くいかなかったら行きますので、またご連絡ください」

しばらくして、「うまくとれました! ありがとうございました」と息子さんからの連絡がありました。
その時、弱ってきたお父さんを介護している息子さんの不安な気持ちを思いました。「行ってあげようかな……。」ホットラインのランプが点滅していました。
「でも、疲れた! まずお風呂に入ってからにしよう!」何と、自分の気持ちを優先させたのです。入浴途中でまた連絡が入りました。「呼吸が止まった」という連絡でした。電話の向こうでは「お父さん! お父さん!」という家族の絶叫が聞こえていました。「すぐに行きます! 先生にもすぐ行ってもらいますから待っていてください。」
服を着替えて、髪を乾かす間もなく車を飛ばしました。到着したときは、すでにご家族の動揺もおさまり、お父さんを囲んで「お父さんは病院に行きたくなかったのよ。だからその前に逝っちゃったのよ! これでよかったのよ!家で死ねたんだから」と話しておられるところでした。
私としては、あの時入浴しないで訪問していたら、息を引き取るところにご家族と一緒に立ち会えたのに、と思うと残念でなりませんでした。
一緒にその場にいてあげたら、ご家族はどんなに安心して最期を看取れたことでしょう。ホットラインの点滅を無視した自分の自己中心をいたく反省させられた出来事でした。

     *

また、こんなこともありました。末期の肝臓がんの方でしたが、かかりつけの診療所の医師が毎日訪問してくださるので、訪問看護は週一回のみのご希望でした。とはいえ、ご家族は不安でいっぱいの状態。今後は入院で看るのか、自宅で看取るのかも方針が決まらず、これでは看護面での援助の方針も定まりません。なんとか訪問回数を増やしていただきたいところですが、了解を得られません。困りました。それで、職員で話し合って、電話相談と、近くまで行ったついでに立ち寄って、ちらっと顔だけ見てくる、名付けて“突撃立ち寄り覗き見訪問”で状況をつかもうということにしました。

     *

ある日、診療所の看護師長から電話が入りました。痛みが強くなっているので本日の診察で痛み止めを増量しました、というものでした。ホットラインのランプが点滅しました。担当の者はその日はお休みでしたし、決められた訪問日ではないのですが、そのすぐ近くに訪問があるので私が立ち寄ることにしました。
丁度いい時に来てくださったと、ひどく不安そうな表情の奥様が出てこられました。年末のお休みに入るところでしたので、息子さん一家も見えていました。見ると、もうすでに下顎呼吸です。血圧はもう測定不能でした。
「血圧がもう測れません。皆さん手を握ってそばについていてあげてください」
孫たちも含めてご家族全員が見守る中、呼吸が止まりました。訪問して数分の出来事でした。何というタイミングでしょうか! これぞまさしく神業!