いのちのことば社創立60周年記念出版
これが、聖書神学事典だ! 今の時代を生きる、現代キリスト者のために

藤本 満
イムマヌエル綜合伝道団 高津キリスト教会牧師

聖書神学事典と言えば、真っ先にあげられるのはキッテルの『新約聖書神学辞典』、またそれに続く旧約編だと思います。その語の語源、文脈、時代背景など、あらゆるデータを総合して、その語の持つ神学的意義を解説している膨大な資料です。聖書神学事典が発行されるとしたら、この助けを借りているはずです。
今回の事典はキッテルを引き合いに出すことなど意味もないほど小さな企画です。しかし、キッテルの「辞典的」な「語句の解説」よりは「事典的」な「テーマの解説」を主眼としています。たとえば「信仰」という項目であれば、エデンの園から黙示録に至るまで、「信仰」という概念に込められた聖書のテーマが見渡せるように執筆されています。それぞれの項目に字数の限りはありますが、旧約聖書、新約聖書の独自性、変遷、さらに聖書各書の個性を無視して解説してはいません。ですが、多様な流れを通して見えてくる、啓示の書である聖書全体が何を語ろうとしているのかは、大づかみではありますが見えてくるはずです。

執筆していく中で

はじめ、事典項目が現代を生きる私たちに何を語りかけるのか、「課題の現代性を意識してほしい」と執筆者に依頼しました。しかし、この点において監修者の構想はあまかったとお詫びしなければなりません。
「死」「結婚」「国家」「宣教」など、現代性を意識することが容易な項目と、「祭儀」「神殿」「愛」など、限りある字数で、より深く聖書の解説に徹してほしい項目に分かれてしまいました。そこで、方針を変更して、解説を聖書という範囲内に限る、オーソドックスな聖書神学辞典を目指しました。
現代的な課題意識は、違う形で事典の中に組み込まれています。執筆者は、その項目が現代の私たちにどのような助けとなるか、ということを究極の目的として執筆したはずです。聖書の理解が一歩でも深まることによって、神の愛と御業に対する理解が深められ、神の民として現代を生きる私たちに神が何を願っておられるか、という課題は執筆者の頭から離れていません。それは、執筆者の名前の一覧を見てくださるだけで、明らかでしょう。執筆者は碩学の牧師たちです。聖書を学び、福音を語ることに召された者たちです。

多くの疑問に対して

聖書を読んでいて、あるいは説教を聞いていて、聖書に関する無数の疑問に圧倒されることはありませんか?
たとえば、「グノーシス」「マラナタ」「黙示」「反キリスト」。いや、このように時々耳にするけど、難しいと思う項目だけではなく、「戦争」「裁き」のように理解が多様でありえる項目もあります。「契約」「贖罪」「真理」「救い」といった大づかみに聖書全体から捉えておきたい項目があります。
さらに「聖書の言語」「解釈学」のように、努力して理解を得たくても、なかなか機会が巡ってこない課題は、五つの解題としてしっかりとしたページ数を割きました。

最後に一言

監修者の一人として、これまで手紙や訪問によって、執筆者たちと何度もやりとりをしてきました。聖書学を専門にされる方が担当されると、その項目は聖書学的に仕上がる傾向がありました。組織神学を専門とされる方は、神学的にと。
ゆえに「聖書事典」か? 「神学事典」か? という振幅は多少残っていることでしょう。しかし、監修者の無礼な要求に執筆者は精一杯応えてくださいました。
聖書神学事典にしては、項目設定をかなり広げ、新進気鋭の世代を執筆陣に取り込んでの贅沢な企画の結果だ、とご容赦ください。

※キッテル編の『新約聖書神学事典』は、1933年にドイツで全10巻出版され、数十年後には旧約版全15巻も編集された。両者合わせて聖書語句の百科辞典的大作。