「ダビデの子」イエス・キリスト 第8回 「イエス・キリストの系図――マタイ版」

三浦譲
日本長老教会横浜山手キリスト教会牧師、聖書宣教会聖書神学舎教師

今回はマタイ版キリストの系図を考えます。マタイは「ダビデの子」イエス・キリストの系図をいかに提示しているのでしょうか。

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前回、マタイ版とルカ版のキリストの系図における違いの中でも特に、マタイ版キリストの系図ではエルサレムの王の家系が載っているのに、ルカ版キリストの系図ではエルサレムの王の家系が載っていないということの意味について考えてみました。では、マタイは、その系図の中でエルサレムの王の家系を載せながら、「ダビデの子」イエス・キリストについて何を語るのでしょうか。
「アブラハムの子、ダビデの子」
マタイの福音書は、次のように書き出します。「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図」(1・1)。しかし、実際には、「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」(新共同訳。The book of the genealogy of Jesus Christ, the son of David, the son of Abraham〔ESV訳〕)とも訳せます。マタイの福音書では、最初の書き出しから、イエス・キリストは「ダビデの子」として登場します。

「十四代」

その書き出しの1節のほかにも、マタイ版キリストの系図では「ダビデ」という名前が頻繁に登場します。6節で二回ほど(「エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ」)、そして17節でも二回ほど、ダビデの名前が出てきます。特に17節は系図の構成にもかかわる重要な節です。
「それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」(1・17)
なぜ、マタイの描く系図は三つの「十四代」で構成されるのでしょうか。実は、このことも「ダビデ」という人物と無関係ではないように思われます。というのは、ヘブル語の「ダビデ」(dwd)という名前において、そのヘブル文字で表された数の合計(d+w+d)が十四(4+6+4)となるのです。このような手法は他のユダヤ文書においても見られることです。そうすると、どうも、「ダビデ」という人物がベースになってマタイ版キリストの系図が構成されているとも考えられます。
ゆえに、マタイ版キリストの系図が三つの十四代で構成されていることを次のように説明することができます。
(1)「アブラハムからダビデの代が全部で十四代」
 =ダビデ王国成立までの時代
(2)「ダビデからバビロン捕囚までが十四代」
 =バビロン捕囚によるダビデ王国喪失までの時代 
(3)「バビロン移住からキリストまでが十四代」
 =バビロン捕囚からのダビデ王国回復までの時代
ゆえに、ルカ版キリストの系図とは違って、マタイ版キリストの系図にエルサレムの王の家系が載っているということは、マタイにとっては大切であったと考えられます。

牧者ダビデと牧者イエス・キリスト

系図が提示された後、ダビデ王国を回復させるイエス・キリストの地上における父親ヨセフが「ダビデの子」と呼ばれます(1・20)。確かに、ヨセフはダビデの家系でありました。
このようにマタイ版キリストの系図がダビデのモティーフで描かれることは、さらにマタイ2章6節におけるミカ書の旧約引用と無関係ではありません。東方の博士たちがキリストの誕生を祝うために「エルサレム」にやって来るのですが、キリストは「ベツレヘム」において誕生するというミカ5章2節が引用されます。
「ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。」(マタイ2・6)
しかし、この旧約引用の後半部分は、むしろ「あなたがわたしの民イスラエルを牧し……」といったⅡサムエル5章2節からの言葉と類似します。Ⅱサムエル5章は、ダビデがイスラエルの王となる場面です。マタイ2章6節も、本来は「……イスラエルを治める……」ではなく、「……イスラエルを牧する……」と訳されるべきでしょう。

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ダビデはイスラエルを牧する牧者的王でした。マタイの福音書においても、その最初から、イエスは「ダビデの子」、つまりダビデ的メシヤとしての牧者のイメージで描かれることとなります。