つい人に話したくなる 聖書考古学 第11回 大工は家を建てない!?

杉本智俊
慶應義塾大学文学部教授、新生キリスト教会連合(宗)町田クリスチャン・センター牧師(http:// www.mccjapan.org/)

Qイエスは大工でしたが、どんな家を建てたのですか?

聖書は、イエスが父親の仕事をついで、大工だったことを記しています。「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか」(マルコの福音書6・1/マタイの福音書13・55参照)
日本で大工というと、「家を建てる職人」ですね。しかし、イスラエルで大工というと、家を建てる人ではありません。先に話したように、イスラエルの家は洞窟だったり、レンガや石を積み上げた家でした。つまり、家を建てる人は「大工」ではなく、「石工」なのです。大工は、木材を使って扉や窓、家具などを作りました。イスラエルでの大工は、日本における「家具職人」のようなものでしょうか。
ちなみに、家の種類としては、洞穴、日干しレンガ、焼きレンガ、自然石、切り石で建てられたものなどがありましたが、この順に豪華な家とされました。「切り石の家」は、その地域の領主の家やお金持ちの家でした。今でもそうですが、パティオと呼ばれる中庭に井戸があり、塀で囲まれていることもよくありました。
旧約聖書に「レバノン杉」を輸入した記述が出てきますが、木材はなかなか手に入らない高価なものだったので、神殿などに使ったようです。また、屋根の梁をかけるのにも重要でした。イスラエルの地において、家に使えるような木材は、当時も現代もかなり高価です。
家の構造は、石の土台の上にレンガや石を積み上げた壁、絨毯を厚く敷いた床、木のはりを通して、わらと粘土でふさいだ真っ平な屋根、といったものです。
屋根や壁にはしっくいを塗って雨をはじくようにしていますが、雨が降らない乾季には、屋上にのぼって軽作業をすることも多くありました。基本的には二階建ての家が多く、その場合、一階が家畜や作業用のスペース、風通しが良い二階が寝室などのプライベート空間となりました。
旧約聖書の列王記第二4章10節には、預言者エリシャを泊めたシュネムの女が彼のために屋上に部屋を造っている記述があります。「屋上に壁のある小さな部屋を作り、あの方のために寝台と机といすと燭台とを置きましょう」。ここからも、屋上が平らなこと、二階はプライベートな空間とされていたことが読み取れます。
新約聖書には、天井に穴をあけて、そこから室内へ病気の人をおろす話が出てきます。「男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした」(ルカの福音書5・19)これも、屋上にのぼることが一般的だったことや、天井がわらと粘土で簡単につくられたものであったことなどがその背景にあります。はがした屋根は、わらと粘土でふたたび簡単に塞ぐことができたでしょう。日本のような斜めの屋根にのぼり、しっかりとした瓦をはがすような状況とは違うのです。

Qイエスの弟子には、漁師が多かったようですね。

シモン・ペテロとアンデレ兄弟、ヤコブとヨハネ兄弟は、ガリラヤ湖の漁師でした。親の職業をつぐことの多かった時代ですので、代々漁師の家系だったことが考えられます。自前の舟も持っていたようなので(ルカの福音書5・3参照)、比較的裕福だったのでしょう。
ガリラヤ湖はかなり大きく、波も高くなりますから、聖書では基本的に「海」と記されています。周囲には、カペナウム、ベツサイダ、ガダラ、マグダラ、ティベリアなど、多くの町がありました。
当時の漁の方法は、大きな網をぐるりと輪にして、その中に魚を囲い込むものでした。網の上部には軽石、下部には重い石をつけて網を水中で上下にひろげ、二艘の船がそれぞれの網のはしを持ち、協力して漁を行いました。ペテロやヤコブたちも兄弟で協力していたのかもしれませんね。
ちなみに、ペテロがその口から銅貨をみつけたとされる「ペテロの魚」(マタイの福音書17・27参照)は、現在ではガリラヤ湖の名物になっています。海底のものを口にする習性があるからですが、現在では、たぶんこの魚ではなかっただろうとされています。ペテロは魚を釣りあげるように言われていますが、この「ペテロの魚」はプランクトンを食べる種類で、エサにはかからなかったはずだからです。